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No.101 4月10日 薄れ行く災害の記憶

関東大震災は1923年(大正12年)9月、神奈川を震源とするマグニチュード7.9の大地震でした。
東京は火災による甚大な被害が発生しましたが、神奈川は全潰63,577棟にも及ぶ住宅被害が生じました。
横浜市内の被害も大きく「横浜復興誌」に克明に記録されています。311はどのように記録されていくのでしょうか。
1930年(昭和5年)4月の今日、震災復興事業の一つ「公園整備計画」の「神奈川公園」と「神奈川会館」の開園式が行われました。
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関東大震災震災復興事業の一つ「公園整備計画」は、国と市とで施行されました。国による公園整備は3施設、市事業は7施設でした。
国施行
1野毛山公園
2山下公園
3神奈川公園
市施行
1横浜公園
2掃部山公園
3山手公園
4元町公園
5横浜市児童公園
6翁町公園
7久保山霊場付属公園

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国施行の3つの公園は、地域の復興のシンボルとしてかなり重点的に整備されました。関内中心エリアの「山下公園」、関外エリアの「野毛山公園」、そして神奈川エリアの初めての近代公園整備として「神奈川公園」が整備されました。
「神奈川公園」は1927年(昭和2年)から工事が始まり、敷地面積四千坪は、私有地を買い上げ盛り土工事による土地と埋め立てを行って確保しました。現在の質素な雰囲気では創造できないしっかりとした造園が行われました。
樹木を植樹し、中央には噴水のある池が設けられ、北側には鉄筋コンクリート三階建ての神奈川会館を建て、そこには食堂や集会室が設けられました。

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4月10日に公園開園式と神奈川会館の開館式、そして復興祝賀会を兼ねた式典が執り行われ、大勢の人出で賑わったそうです。
戦後は米軍により接収されましたが、1952年(昭和27年)に接収解除されました。翌年には改めて改修工事が行われ再び公園として利用されるようになりました。昭和モダンの神奈川会館は1983年(昭和58年)に老朽化のために取り壊され、現在はその面影も無く“防災公園”の意味合いしか無くなってしまいました。

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神奈川公園平面図

市街地に位置する小公園という佇まいですが、関東大震災からの「復興事業」として整備された公園として災害の記憶を忘れないことが大切だと思います。

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