横浜の光景が描かれている絵葉書から人々が写っているものを紹介します。
まずは子供のいる風景から紹介しましょう。
外国の版元が作成した横浜の日常風景をハガキにしたものです。キャプションには日本の子供達とフランス語で表記されています。Cliche P.H. という署名らしきものがあります。これ以上の来歴は調査していません。
ここに写されている子供達は12名、大人の姿が見えません。明確に男の子と判るのが2名、女の子が5名、残りは幼子のようです。
次に紹介するのが ある写真館の子供達三人の集合写真です。
この絵葉書の“表”も合わせてご覧ください。
横浜絵葉書では有名な「トンボヤ」製のものです。全国的にも有名だった「トンボヤ」は全てが横浜の絵葉書ではなく他の地域絵葉書も製造していたようです。この写真館の絵葉書はどうのようなシチュエーションだったのでしょうか?
想像の領域でしかありませんが、三人の物語を想い描いてみましょう。「トンボヤ」御用達の写真館で撮影された子供達は三兄弟に見えないことも無い?長男が左で次男が右端、中央で椅子に座っているのが末っ子の三男坊ではどうでしょうか。
さらに想像を膨らませ、中央の三男坊の誕生日に三人の記念写真を撮った!
“表面”からこの絵葉書は大正7年以前に発行されたことが判ります。
彼らは明治後期から大正初期に生まれ、激動の大正昭和を生きたことになります。
横浜の原風景、川遊びの風景です。場所は「お三の宮」あたりのようです。
今日一番の一枚。
鉄桟橋に子供達が見学の“遠足”にでも来ているのでしょうか、教師らしき人が数名、男子生徒と女子児童がグループを作っています。
中に二つ傘が見えるのは誰が使っているのか?興味が湧きます。
場所は横浜の鉄桟橋であることはほぼ間違いないと推論できますが、撮影の時期特定が難しいところです。ヒントは桟橋の欄干が有りません。
1894年(明治27年)に鉄桟橋が完成し
1913年(大正2年)に第二期工事が完成します。
この映像はこの頃のものではないか?と推理していますが、傍証未確認です。
子供達の風景が“絵葉書”になるのは戦前の限られた時期だけのようです。