No.98 4月7日「その夢には、日本を変える力がある」

 


昨日紹介した「横浜市中央市場」に隣接する山内ふ頭周辺地区(横浜コットンハーバー地区)は、かつて浅野造船所があったところで1917年(大正6年)4月の今日設立されました。
倉持 岳志役で木村拓哉が登場したTBS系列の『日曜劇場』で放送された『南極大陸』の重要な舞台の一つとなった場所です。

「その夢には、日本を変える力がある」
このキャッチコピーで登場する南極観測船 「宗谷」の物語「南極大陸」は、2011年10月16日から12月18日までTBS系列の『日曜劇場』で放送されました。
日本は国際地球観測年に伴い南極観測を行うこととなり、南極観測船が必要となりました。限られた予算の中、
ボロボロの灯台保安船「宗谷(そうや)」を南極観測船(砕氷船=さいひょうせん)に改造することになりました。時代は造船ブーム、新しい船を造る造船所はあっても低予算で改造する造船所は皆無でした。既存の船を異なった機能を設計、改造するのは極めて難しい注文だったようです。
どこの造船所も手を挙げ無かった中、戦後造船所ではなく船舶の修理工場となっていた「日本鋼管・浅野ドッグ(浅野船渠)」が応じます。昼夜を問わぬ突貫工事を敢行し、見事な職人魂で7ヶ月の短期間で仕上げました。
宗谷はその後も修理・改装を浅野船渠で繰り返しながら、通算6回の南極観測任務を遂行します。
https://www.kanaloco.jp/kanacoco/community/harbor/topic/625/
この時「宗谷」は船齢18年で引退してもおかしくない状態でした。昭和13年に耐氷貨物船として建造され、海軍の運送艦として第二次世界大戦で働き、戦後は引き揚げ船として北に南に走り続けた造船史上の貴重な生き証人です。
http://www.funenokagakukan.or.jp/2017/5960/

保存されている宗谷

浅野船渠は「日本の臨海工業地帯開発の父」「明治のセメント王」と呼ばれた浅野総一郎が自前の造船所の建設を計画したことにはじまります。海運業に進出するため東洋汽船を起こし、自前の造船所建設まで行うというダイナミックな経営者でした。造船に関しては、三菱造船の隣に進出しようと計画するなど、闘争心も中々だったようです。
富山出身の浅野総一郎

1940年(昭和15年)に日本鋼管と合併し、「日本鋼管鶴見造船所」となりましたが「日本鋼管浅野船渠または浅野ドック」と呼ばれていました。2002年(平成14年)に造船業界の統合等で日本鋼管と日立造船が船舶・海洋部門を統合しユニバーサル造船京浜事業所となり企業体としては継続しています。

浅野船渠のあった山内ふ頭周辺地区は(横浜コットンハーバー地区)として再開発されています。一角に神奈川台場の跡が保全されています。
コットンハーバー横に神奈川台場跡が保全されています

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