横浜を含め全国の中央卸売市場が今、
危機に瀕しています。
「卸売り」というと割高のイメージが定着していますが、
私たちにとって不要かどうか、
私たち消費者こそ強い関心を寄せるべき「食生活」の重要な機能です。
ここでは流通論を展開する場ではありませんが、
食の多様性と地産地消の視点から、この食品流通にとって卸売りの役割」は
別の機会で議論したいテーマであることを提起しておきます。
中央卸売市場は1923年(大正12年)に制定された卸売市場法で開設された公的市場のことです。
横浜でも卸売市場開設の動きが高まり、
1927年(昭和2年)の今日、開設許可が下り開設準備が始まりました。
昭和5年に発表された市場概要 |
日本最初の中央卸売市場は
1927年(昭和2年)京都市(京都府京都市下京区朱雀分木町80番地)に、
1930年(昭和5年)高知市に開設し、
1931年(昭和6年)2月11日に
横浜中央卸売市場が史上3番目の市場として開設されました。
東日本では初の中央卸売市場で、
築地で有名な東京は1935年(昭和10年)に開設されています。
おおよそ同時期に開設準備が始まったのですが、関係者の調整に地域差が出たようです。横浜もかなり苦労したようで、
昭和5年の概要書経過にはその苦労が記述されています。
この計画書を元に現在の中央卸売市場と比較してみましょう。
昭和5年の計画図 |
現在の市場 |
周辺を埋立てて全体面積が大きく拡大していることが分かります。
現在の中央卸売市場の構成は下図の通りです。
場内に「青果」と「水産」部門があります。
その他、「食肉」部門は鶴見区大黒町に独立して昭和34年に開設されています。
また、二年後本場に統合する再編計画が所管部門の横浜市経済局から発表されている南部市場が昭和48年に開設しました。
http://blog.goo.ne.jp/nanbuitiba/
http://www.yokohama-ichiba.com/
(頑張っている中央卸売市場)
第1・3土曜には横浜中央卸売市場本場主催の「ハマの市場を楽しもう」が開催されています。次回は明日の4月7日、水産部内特設会場(C?13)で「魚河岸汁」のサービス。これからの潮干狩りシーズンに向けて「アサリ汁」が先着300人に振る舞われます。
http://www.city.yokohama.lg.jp/keizai/shogyo/orosi/topics/gyoshokufukyu.html
最近行きませんが、私は良く場外の食堂に行きました。ボリュームたっぷりの海鮮丼とか、どでかいハンバーグとかあった記憶があります。また行ってみましょう。
(番外編)
幕末に外国からの要求で、食品市場が不衛生ということで居留地の一角に「外国人用市場」を儲けたのが始まりです。本格的な市場は、1871年(明治4年)に高島嘉右門が市場開設を出願し翌年、衣紋坂(えもんざか)(現在の相生町1丁目あたり)の工部省用地を借り受け魚・鶏食肉・青物を扱う本格的な市場を開設しました。
ところが火事で焼失し、改めて1874年(明治7年)に魚問屋組合を設立し港町魚市場を開設します。港町は現在の横浜市役所が建っているところです。(市役所横にある記念碑:数メートル最初の場所から移動しました)
※ 衣紋坂(えもんざか)は、横浜(港崎)遊郭(現在の横浜公園)に入るところにあった坂で遊客がここで衣紋をつくろう(身なりを整える)ことに由来しました。(全国の遊郭にあったそうです)
手前が遊郭、遊郭に続く道の一段高くなっているあたりが相生から大田町あたり。 |
(さらに不思議な不一致見っけ)
横浜中央卸売市場の開設日? 昭和6年2月11日と昭和10年2月11日が同じ市のサイトにあります。さてどっちが正しいのか?それとも曖昧なのか?
上記と表記が異なりますよね。本文では昭和6年とありますから下表が間違い?ってことですかね。 |
(横浜市会の百年)(横浜歴史年表)では1931年(昭和6年)2月11日
中央卸売市場の開場となっていますので、上記の開設年は1931年(昭和6年)で良いのでは?