No.85 3月25日 日本の運命を変えた男横浜に入港

1906年(明治39年)の今日3月25日(日曜日)
日本の運命を変えた一人のマーチャントバンカーが家族とともに約二十日間の船旅を終え午後4時頃横浜港に入りました。

彼の日記によれば、午前11時に陸地が見えたとあります。
残念ながら富士山は見えなかったようです。

シフ肖像写真

彼の名は、ジェイコブ・ヘンリー・シフ(Jacob Henry Schiff)。
典型的な単身アメリカに渡り成功したユダヤ系ドイツ人の銀行家です。
鉄道事業投資に才能を発揮しJPモルガン商会と並ぶクーン・ローブ商会の頭取としてアメリカ大陸の鉄道事業をベースに建設、電信会社、ゴム産業、食品加工等を展開します。
彼は、日本が当時日露戦争(1904年〜1905年)のための外資(戦費)調達で苦戦する中、必要な戦費の四割を欧州で調達することに成功し明治天皇より最高勲章の旭日大綬章を贈られた金融マンです。
当時日露戦争に要した資金は17億2121万円で、1895年(明治28年)3 月に終わった日清戦争の9倍で国家予算の6倍にも及ぶ金額でした。
日本政府はその殆どを外資(ポンド)に頼る必要がありました。
日本円では物資を購入することができなかったからです。この時の外資調達責任者が高橋是清(当時日銀副総裁で後に大蔵大臣、総理大臣を歴任。226事件で死亡)で、幕末ヘボン塾で学び居留地の外国銀行でボーイとして働きながら英語を習得し渡米します。
若い時の高橋是清の人生は下手な冒険小説より破天荒、波瀾万丈エピソードの塊みたいな人物です。
高橋是清との信頼関係を築き、日本を精力的に支援したシフは、戦勝国日本を家族で訪れます。
日本滞在中は横浜、鎌倉、東京(天皇をはじめ多くの要人と会います)、日光、静岡、京都、奈良(途中朝鮮半島)を精力的に巡り5月17日にまた横浜港から出発するまで滞在します。
到着した4月25日は、グランドホテルに宿泊し、夕食に満足します。夜には日本のオリジナルタクシー人力車に乗り伊勢佐木あたりに繰り出し人出の多さに驚きます。

翌日の26日は一日横浜市内観光に出かけます。
女性陣は観光とショッピング、シフは横浜正金銀行でお金を調達(下ろ)し頭取の高橋是清と歓談します。
その後横浜最大の骨董品店「サムライ商会」で女性陣と合流し、寺院見物、元町百段坂上の茶屋でティータイム。そこの女主人がドイツ語と英語を話せたそうです。
最後に横浜植木株式会社で盆栽を幾つか購入しホテルに戻り夕食をとります。
27日は横浜駅から汽車で東京に移動し、28日に天皇の謁見、叙勲を終え東京に数日滞在します。
(以下の旅程は省略しますが 詳しくは「日露戦争に投資した男」新潮新書を参考に)
横浜植木株式会社は、シドモア桜をアメリカに運ぶ準備をした会社でもあります。
  明治31年2月には ニューヨーク事務所開設しています。

ジェイコブ・ヘンリー・シフの居たクーン・ローブ商会は一時期モルガン財閥と並立する存在でしたが、マーチャントバンクスタイルから証券市場での取引へのシフトに遅れ、衰退していきます。
1977年にリーマン・ブラザーズに統合され、1984年アメリカン・エキスプレスが買収しクーン・ローブの名は完全に消えます。

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