No.83 3月23日 雨が降りやすいので記念日変更

明治から大正時代にかけて
「横浜開港記念日」は<7月1日>で役所も学校もお休みでした。
1928年度から<6月2日>に変更されます。これは横浜の不思議の一つでしょう。
1928年(昭和3年)の今日、横浜市議会において開港記念日変更の決議が行われ、
以降横浜市は6月2日を「開港記念日」とします。

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日本(徳川幕府)は5つの国と開国(開港)の条件を決めた修好通商条約を結び
5カ所の開港が決まりました。(安政の五カ国条約)
この条約、日米修好通商条約 第二条を除いて※
ほぼ各国同じ内容ですが
それぞれ五カ国で微妙に細則部分で開港条件(内容)が異なっています。

中でも第三条では、開港場所と時期が国によって異なりました。
例えば 米国とは
 第三條
下田箱館(版本館ノ次ニのノ字アリ)港の外次にいふ所の場所を左之期限より開くへし
 神奈川 午三月より凡十五个月の後より 西洋紀元千八百五十九年七月四日 
 長崎 同斷 同斷
 新潟 同斷凡二十个月の後より 千八百六十年一月一日 
 兵庫 同斷凡五十六个月の後より 千八百六十三年一月一日
とありますが、露西亜(ロシア)とは2港開港し英国とは米国より詳細な項目規定が盛り込まれます。
米国以外は神奈川が7月1日、兵庫を1863年1月1日と決めます。

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五カ国条約

神奈川の開港日をアメリカは「独立記念日」とするあたりこだわっていますね。
最終的に各国との交渉で場所も開港時期も微調整され、
神奈川湊は横浜に変更7月1日開港となります。

神戸も横浜と事情がそっくりで、兵庫湊開港が神戸に変更されます。
神戸の場合、開港時期がかなりもめます。すったもんだの末約10年後の慶応3年12月2日に開港としますが実際に開港したのが五日後の12月7日(1868年1月1日)となりこの日を「神戸開港記念日」としています。

神戸市の開港記念日 12月7日 1月1日は「神戸港記念日」と二日設定。
函館市の開港記念日  7月1日
新潟市の開港記念日 11月19日
長崎市は さすが出島があった関係で 1571年4月27日が「開港記念日」
「長崎港記念日」として横浜と同じ6月2日をあてています。
主な都市の開港記念日

横浜市では開港以降西暦7月1日に「開港祭」が行われてきました。
特に1909年(明治42年)は50周年にあたるため7月1日から三日間、「開港50周年祭」が盛大に執り行われました。それまで市民の祝日条例みたいな取り決めは特にありませんでしたが、
1918年(大正7年)6月27日の横浜市議会で横浜市の開港記念日は7月1日にして休日とします、という決議が行われます。

ところが、
1928年(昭和3年)3月23日、唐突に開港記念日変更議案が提出され、決定します。
詳しい話は(大西比呂志著『横浜をめぐる七つの物語』)にコトの顛末が書かれています。

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関東大震災復興に尽力した有吉忠一第10代横浜市長(任期1925年〜1931年)が市会に記念日の変更議案を上程し短い審議で採決し決定します。

横浜市長有吉忠一


市議会議員も過半数賛成しすんなり決定しますので、ある程度事前に調整<根回し>がついていたのかもしれません。
上程理由として
①日本なのだから当時の太陰暦の日付を使うべきだ
②現行の七月一日だと雨が降りやすい
③横浜建設復興祝賀式が前年の六月二日に秩父宮出席で行われた
①と③は時代の影響を感じますが、②はどうなんでしょうね。記念日変更理由を梅雨の影響にしますかね。
この突然の記念日変更決議は後々尾ひれがつきます。
市長の有吉忠一氏の誕生日が<偶然>にも1873年(明治6年)6月2日であることから自分の誕生日にしたかった!という話が広まりますが、いくらなんでもそれは無いだろうと思います。

その後 今日に至るまで横浜市の開港記念日は 6月2日となっています。

ちなみに「鉄道発祥の日」を記念した鉄道記念日は西暦をとって10月14日(西暦1872年、旧暦明治5年9月12日)としています。

※ (日米修好通商条約)第二條
日本國と歐羅巴中の或る國との間にもし障り起る時は日本政府の囑に應し合衆國の大統領和親の媒となりて扱ふへし
合衆國之軍艦大洋にて行遇たる日本船へ公平なる友睦の取計らひあるへし且亞墨利加コンシユルの居留する港に日本船の入る事あらは其各國の規定によりて友睦の計らひあるへし

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