No.82 3月22日 神戸産東京麦酒

「神戸」をなんと読みますか?
こうべ、ごうど、かんべ、かのと、じんこ 等様々な読み方がありますが語源は神社の祭祀を維持するために神社に付属した民戸を表す神聖な場のことらしいです。
詳しくは下記Wikiでどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/神戸_(民戸)
横浜市保土ケ谷区神戸(ごうど)町で1899年(明治32年)の今日、
東京麦酒会社保土ケ谷工場の開業式が行われました。
※一部資料では保土ケ谷移転が1893年、または1897年という説あり。

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ベリーニの丘(横浜ビジネスパーク)遊水池です

横浜市保土ケ谷区神戸(ごうど)町は当時、橘樹郡保土ケ谷町神戸で、現在の横浜ビジネスパークがある場所です。
東京麦酒㈱は元々桜田麦酒会社という会社で「桜田麦酒」を東京で製造していました。
恐らく麦酒事業が成功し事業規模を拡大するために保土ケ谷の地に工場を造ったのでしょう。
東京麦酒㈱の麦酒の味はわかりませんが、日本で初めて麦酒瓶用の王冠栓を輸入し使った会社です。それまで麦酒はワインのようにコルク栓を使っていたそうです。
当時の広告に
「王冠コルクは抜くに困難なく、御婦人子供衆も容易く取扱ふことを得べし。王冠コルクは體裁美麗且つ高尚なるを以て御進物として尤も適當なり」
と書かれていました。

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桜田麦酒のラベルです

ところが、王冠は瓶の口径が揃っていないと効果がありません。
当時の瓶製造技術はまだ未熟だったこともあり王冠は評判が今ひとつあがりませんでしたが、
この時代、製ビン技術は飛躍的に向上します。

ところが、経営の不手際で業績不振に陥ります。
1907年に我が国最大のビール会社「大日本麦酒」に吸収合併されてしまいます。東京麦酒はこれまでの開発技術を活かし製ビン工場「日本硝子工業」として生まれ変わります。
※日本硝子工業に関しては別途調べましたのでアップします。
戦後「大日本麦酒」が財閥解体でアサヒとサッポロに分割され、「日本硝子工業」も「新日本硝子工業」として1970年代まで操業していました。
工場近くの坂はビール坂と呼ばれ現在も信号機のプレートにその名を残しています。
(近々撮りにいきます)といってまだです。(201303)

(余談)
戦前の流れで、ビール瓶の大瓶はメーカーによって形が違います。
アサヒ、サッポロ、サントリーが共同利用している瓶と、単独仕様のキリンビール用、さらに主として沖縄県内で流通するオリオンビールの瓶があります。

blog_itiban
違うでしょ!
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