横浜の歌といったら何を思い出すでしょうか。
市民の投票数なら「横浜市歌」が一番かも知れません。
戦後に限定すれば岡晴夫から始まり、最近はクレケンまでその数は1,000曲を超えでしょう。(正確ではありません)
数々あるヨコハマを歌ったミュージシャンの中で、横浜をブループ名に使い日本を制覇したのが唯一「横浜銀蝿」です。校内暴力盛んなりし頃の1981年(昭和56年)のこの日、二日間にわたって横浜教育会館でデビューコンサートを敢行!夜露死苦!
現在の教育会館 |
※ 潮のかほり
http://www.youtube.com/watch?v=PzhSrCyu4Oo
※ 横須賀Baby
http://www.youtube.com/watch?v=mgtHemQuNLU&feature=related
※ ぶっちぎりRock’n Roll
http://www.youtube.com/watch?v=KwYqnDNbG-g
※ ツッパリ High School Rock’n Roll 登校編
http://www.youtube.com/watch?v=ja99Uy3BNDU&feature=related
あの「横浜銀蝿」が紅葉坂のあの「教育会館」でライブというだけで、この頃はある意味、良い時代だったのかもしれません。
リーゼントの髪形にサングラス、ライダー革ジャン、白いドカン(ズボン)という独特の服装だけで、世のPTAは驚愕したはずなのに、だれが仕組んだのか調べてみたいものです。ご存知の方ありましたら教えてください。
確かにこの頃、教育現場も世の中も荒れていました。金属バット事件、官公庁不正続発、KDD事件、自民党40日抗争、三和銀行オンライン詐取事件、ローキード事件など不毛な事件が多発する中、中学校が荒れる校内暴力がピークに入っていた時代です。私も校内暴力盛んなりし時期に営業で学校周りをしていたことありました。教室の窓ガラスにテーピング、職員室に鍵という学校もありました。
「横浜銀蝿」は苦難の道を歩んだ音楽グループです。
「横浜銀蝿」は1979年(昭和54年)に嵐、翔、Johnny、TAKUの4人で結成されました。
正式には「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」ですが一般的には「横浜銀蝿」で有名になりました。嵐(らん)が1955年生まれで最年長でリーダー格、弟の翔とJohnnyが1958年生まれの県立柏陽高校同級生、TAKUが1960年生まれでデビューは20代前半という遅咲きのグループでした。
36回のオーディションに落ちたという勲章付きの落ちこぼれから始まった「横浜銀蝿」はメンバーの薬物使用事件、解散、再結成という試練を越えて現在も活動を続けています。
「横浜銀蝿」公式サイト
当時、なめ猫、正式名称は「全日本暴猫連合 なめんなよ」のヒットも「横浜銀蝿」と相乗効果があったかもしれません。
(余談)
※弟の翔とJohnnyが通った県立柏陽は、元日本軍の第一海軍燃料廠で駐留軍が接収した「大船PX」の跡地に建ちました。
校舎の一部として第一海軍燃料廠の施設を改修して用いていたそうです。キャロルのギタリスト内海利勝も柏陽出身です。