No.66 3月6日 ラーメンがなくなる日

ラーメンは一世紀の時間を経て日本食になりました。大正時代に全国各地に広がり始めた「支那そば」「中華そば」は戦後になって、一気に華開きます。全国津々浦々、1ジャンルでこれほどに多様性のある食が現在も成長しているのは「ラーメン」だけではないでしょうか。
1994年(平成6年)のこの日、新横浜ラーメン博物館がオープンしました。
新横浜ラーメン博物館公式サイト

外観
以前大雪のとき訪問

ラーメンは日本食からさらに国際食として世界に「日本のラーメン」として伝播しつつあります。戦後の食文化を大きく変えた「ラーメン」の名は昭和33年に発売された日清の「チキンラーメン」の登場が大きく影響します。インスタントラーメンの大ヒットが、ご当地ラーメンの誕生のベースと成りました。
このインスタントラーメン文化の創造会社「日清カップヌードルミュージアム」も横浜に登場し、横浜は麺食の聖地になりつつあります。

新横浜に登場した「新横浜ラーメン博物館」(ラー博)は、オープン当時驚きを持って迎えられました。私もオープン一ヶ月後くらいに並んで入場して以来、のべ10回程度ですが思い立ったらラー博に向かっていることもありました。
まず驚いたのが、ラーメンを食べるのに入場券を買うことでした。(現在は入場料300円です)しかし全国のラーメンを一カ所で食べられる交通費と考えたら良いかなとそれほど抵抗無く入場しました。(年寄りにはかなりブーイングでしたが)入館してまず驚くのが館内のシカケです。ラーメンという名が全国区となった昭和33年「チキンラーメン」時代を再現した街がそこにありました。このコンセプトは今でこそ昭和レトロブーム“ALWAYS”などの成功がありますが、オープン当時40歳以下は異次元だったのではないでしょうか。

昭和33年を再現
2月2日から気仙沼カモメ食堂が復活を目指して出店

この昭和33年時代を再現した街並を「ラー博」は変えていません。ぶれていないということです。確かに数回入場した時に“まだこれ”と感じたことも事実ですが、その後時々の入場でしかありませんが仲間を連れて行く時の「コンシェルジュ」になっている自分がいます。

5年前?ごろのラー博

ラーメンをテーマにしたフードコートは全国に15以上も出現しました。街ぐるみでご当地ラーメンを開発しているエリアもあります。ラーメン文化がさらに成熟化すればするほど「ラー博」の存在が際立ってくるでしょう。頑張って欲しいと思います。
新横浜には他に観光施設が無いのが残念ですが、最近では世界各地からわざわざ「ラー博」を訪れています。

6カ国語パンフ

「新横浜ラーメン博物館」館長の岩岡さんは、ラーメンの画一化に危機を感じていると自著「ラーメンがなくなる日」で述べています。80年代以降ラーメンはメディアと融合し大ブームを起こしました。もうブームは去り、原点の郷土食にもどりつつあります。
カレーミュージアムは失敗しましたが、ラー博は常にラーメン世界の灯台になって欲しいと思います。
※余談
ちょっと苦言 一階の売店はどうにかなりませんか?レイアウトがその都度変わるのは構いませんが買いにくいのです。商品陳列、展開にもう少し本腰を!?

マイラーメン購入しました
かもめ食堂のミニです
つけ麺の登場しました
箸休めに喫茶も良いね
なつかし!レーシングカーだ。
外国人はコスチウム撮影が大好き 法被も人気ですよラーメンハッピ作っては?

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