1936年(昭和11年)のこの日、東京横浜電鉄東横線綱島温泉駅前に一軒の菓子店が開業しました。
店の名は御菓子司「や満田屋製菓」、現在港北区で一番歴史ある老舗菓子店です。
この年昭和11年は雪の多い年でした。特に2月に入り4日、23日と続いて大雪が東京近郊を襲い積雪は30cmを越えました。
そして開店の26日は早朝からしんしんと雪が舞い忘れられない一日となりました。
期間限定桃まん |
綱島の御菓子司「や満田屋製菓」が開店した日、時代を揺るがす226事件が起りましたが、夜までほとんどの市民はこの事件を知りませんでした。当時唯一の電波メディアだったラジオ放送も、全ての新聞(夕刊版)も一切この事件を報道しませんでした。
第1報が陸軍省発表として初めて伝えられたのが26日の20:35の臨時ニュースでした。
「本日午前5時ごろ一部青年将校等は左記個所を襲撃せり。(後略)」
積雪35センチ以上の大雪の中、無事開店を終えた「や満田屋製菓」のある綱島界隈は、十年前の1926年2月に開通した東京横浜電鉄神奈川線の綱島温泉駅開設で一気に賑わいを見せはじめていました。急行も運転を開始し、東京の奥座敷として多くの観光客も訪れていました。
綱島の歴史は鶴見川の氾濫の歴史でもあります。現在では静かな川ですが、昭和時代まで暴れ川でした。水害も多く、耕作地としても不向きでしたが、水が氾濫しても作付けに影響の少ない「桃栽培」を始めることで、綱島は桃の名産地に生まれ変わります。当時、桃は「西の岡山。東の綱島」といわれました。現在でも少し桃畑が残されています。(その桃で地麦酒が造られています)
桃が次第に斜陽になってくるのと前後して温泉が発見されます。綱島は一気に桃畑から温泉場に変身します。東京横浜電鉄(後の東急)の延長とも重なります。
1944年に綱島温泉駅は現在と同じ綱島駅に改称されますが、綱島温泉は1970年代まで東京近郊の温泉場として賑わいますが、伊豆箱根に客を奪われ温泉場は首都圏のベッドタウンに変化して行きます。現在では昔の面影を確認できる場所は限られてきましたが、古民家、桃畑、ラジウム温泉もかろうじて残されています。
横浜ビール製綱島桃ビール |
老舗「や満田屋製菓」もまた綱島の歴史を見守る激変の街綱島の生証人です。はまどらがおすすめです。
http://www.tsunashima.com/shops/yamadaya/
※エピソードネタ
歌手、三橋美智也は下積み時代 綱島温泉東京園でボイラーマンをしていました。その後成功し温泉ホテルに関心が強く、熱海に温泉ホテル「サン三橋」を建てます。皮肉にも綱島温泉のように時代に合わず、経営に失敗し手放します。現在はホテルサンミ倶楽部となっています。