1939年(昭和14年)のこの日、歌人高浜虚子と次女の星野立子(歌人)、そして新感覚派小説家で俳人の横光利一は船長粟田達哉氏の招きで改名された『鎌倉丸』に乗船し、豪華大型客船を楽しみました。
この『鎌倉丸』を巡っては、いくつもの物語があります。
今日はそのアウトラインをご紹介しましょう。(少し長文です)
『鎌倉丸』多くの物語のある戦前を代表する大型商船の一つです。
『鎌倉丸』を語る事は、
日本の商船史の凝縮した1ページをも描き出すことが出来ます。
■物語1 神戸から横浜へ
1897年(明治30年)5月
日本郵船初代「鎌倉丸」はイギリスのワークマン・クラフト造船所で竣工しヨーロッパ航路に就航しました。
第一次世界対戦勃発(1914年)時には地中海に派遣された日本艦隊への物資輸送等に従事しました。
軍事徴用終了後、アメリカ東岸航路に就き1933年(昭和8年)に売却解体されます。
次の大型客船計画が解体6年前の1927年(昭和2年)に持ち上がります。
日本郵船は、大型商船を当時の二大造船所の一つ、川崎造船所(神戸)に発注していましたが計画が深刻な金融恐慌のために頓挫します。
当時、最先端造船所といえば、三菱造船長崎か川崎造船神戸でした。
川崎造船所は川崎重工の前身で、地名ではなく創業者の名をとったものです。
発注した内容は一本煙突で総トン数17,526t、長さ178m、幅23m、主機ディーゼル15,500馬力、最高速力20.6ノットの大型商船でした。
設計時の船名は『秩父丸』と命名されていました。
『CHICHIBU-MARU』です。
川崎造船は1927年(昭和2年)3月に起った昭和金融恐慌でメインバンクの十五銀行が経営破綻し事業休止状況に追い込まれます。
そこで急遽
代替え造船所を探し、横浜船渠に決ります。
1927年7月発注8月に正式契約を取り交わし「川崎(神戸)」から「横濱」になります。
この『秩父丸』は横浜船渠にとって初の大型造船となりました。
横浜船渠は渋沢栄一が中心となって設立された造船所で、修理が主でしたのでビッグプロジェクトとなりました。
『秩父丸』の進水式は1929年(昭和4年)5月8日に行われ、翌1930年(昭和5年)3月10日に完成します。
初航海は横浜からサンフランシスコ航路で、少し遅れて就航した『龍田丸』と並び太平洋航路の良きライバルとなりました。『龍田丸』については明日エピソードをご紹介しましょう。
『秩父丸』は1938年(昭和13年)7月6日に太平洋横断100回の偉業を達成します。
■物語2 『秩父丸』から『鎌倉丸」へ
『秩父丸』は1939年(昭和14年)1月18日『鎌倉丸」に船名を変更します。
冒頭の高浜虚子らが招かれたのはおそらく『鎌倉丸』新命名パーティだったのでしょう。
同じ船籍会社で現役バリバリが名前を変更することは極めて異例の事です。そこには、1862年居留地39番で診療所を始めたヘボン(日本近代医術の創始者)が大きく関わっています。
ローマ字で
開国以来の異文化コミュニケーションギャップを引き起こします。
皆さんは名刺等にローマ字表記していると思います。この時のローマ字表記は「ヘボン式」ですか?「訓令式」ですか?
21世紀になった今日でも、「ヘボン式」「訓令式」の混用が混乱をもたらしています。文部科学省は訓令式を妥当と考えています。
外務省はパスポート申請でヘボン式使用を強制しています。非ヘボン式で記入したい場合は別紙申出書が必要になります。
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/02/2315/down/hihebon.pdf
このヘボン式か訓令式か、がどう『鎌倉丸」に関係があるのでしょうか?
1937年(昭和12年)まで、船舶の欧文表記はヘボン式ローマ字で書かれていました。
『秩父丸』はCHICHIBU-MARUと表記しますが、
この年から内閣訓令式(日本式)のTITIBU-MARUに改めるよう通達がでます。
ところが、英語に詳しいかたならお分かりかと思いますが、TITは「おっぱい=ちち」というスラングに読めるということから使用を中止しようということになります。
秩父(ちちぶ)なので音的にはぴったり!なんて冗談を言っている場合ではありません。
※一説では今上天皇の叔父にあたる秩父宮雍仁親王の名を避けるために改名の理由をつけたのではないかともいわれています。
そして『秩父丸』は異例の『鎌倉丸』に改名し第二の人生を歩み始めます。
■日本の多くの船名は神社に因みました。
氷川丸も埼玉県さいたま市の「氷川神社」から命名されたものです。
マリンタワーから見た氷川丸 |
物語3は「安導券」についてです。
「安導券」は明日の『龍田丸』でも共通するテーマですので明日ご紹介します。
物語4はまさに最後の物語。
1943年(昭和18年)『鎌倉丸」撃沈までの悲劇の物語です。この物語は別の機会に譲ることにしましょう。