No.22 1月22日 大谷嘉兵衛を追って(加筆)

2011年、仕事の合間に「横浜とお茶」をテーマに調べている時、大谷嘉兵衛という人物に出会いました。日本のお茶産業の振興に情熱を捧げた彼は、横浜村の鎮守のために「伊勢山皇大神宮」を野毛山に遷座し初代氏子総代の一人となります。
1931年(昭和6年)1月22日の今日、伊勢山皇大神宮境内の一角で大谷嘉兵衛翁銅像の除幕式が行われました。

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「横浜とお茶」にまつわるエピソードはたくさんあります。
これから折をみて紹介していくことになるでしょう。
今日は伊勢山皇大神宮と大谷嘉兵衛について簡単に触れておきます。
1931年(昭和6年)1月22日大谷嘉兵衛翁銅像の除幕式挙行」
ならば
大谷嘉兵衛の像または碑が伊勢山皇大神宮にあるはずだ
ということで神社内を歩いてみましたがそれらしき像が見当たらない。
現在もネット検索上では、大谷嘉兵衛の碑が伊勢山皇大神宮境内にあるというテキストが幾つか掲載されています。本当のところを確認するために社務所で事実関係を聞いてみると「ありません」というそっけない答えでした。

ネットで出てきたデータは間違いか?
さらに資料を探すと、
浜田猶三氏の手紙の紹介があり
『(前文略…当横浜市にも郷土出身吾々の大先輩 故 大谷嘉兵衛翁が市民から忘れ去られて行く事は遺憾の極みであります。翁は当横浜の草分けの一人であり、戦前までは野毛の伊勢山大神宮の庭前に銅像が建立されていましたが、戦争のなかばに鋼鉄の不足で回収せられ長らく台石のみが残って居りました。所が昭和二十年頃 前市長半井清氏の奔走で高さ五メータ位の顕彰燈籠が建てられましたが、神宮所では神前結婚式を行う為め今では自動車の駐車場同然で誠に嘆かわしき次第です。…以下略)』
という内容がでてきた。
再度伊勢山を確認することにしました。
そういえば以前伊勢山皇大神宮が“破産”する原因となったホテル海洋亭建設の際、表参道の駐車場を大きく改装したことを覚えています。
その時に外されたか、除去されたか。
その可能性が高い。しかし 事実は薮の中です。

銅像になった大谷嘉兵衛は、現在の三重県松阪市に生まれました。1862年(文久2年)17歳の時に横浜に出て、故郷の隣村出身小倉籐兵衛が経営する横浜北仲通り「伊勢屋」に奉公します。
関西屈指のお茶の生産地だった伊勢の製茶貿易に就きます。
彼に大きな転機が訪れます。お茶関係の貿易経験を活かして「スミス・ベーカー商会」の製茶買入方として働き始めます。
ここで彼の才能が開化します。ビジネス感覚と国際感覚を身につけ日本を代表する実業家の実力を磨きます。
彼のエピソードを一つ紹介しておきましょう。
幕末好調だったお茶の対米輸出も、大変浮き沈みの激しい業界でした。特に最大の輸出先だったアメリカが戦費調達のために“お得意の”高い関税を決め、日本国内お茶産業が大打撃を受けます。
この状況に対し、大谷は積極的行動に出ます。
アメリカに対しコーヒーは無税、茶に重税とは不合理と主張し、当時のマッキンレー大統領にも直談判します。その後、茶関税は廃止され輸出はふたたび伸びたため瀕死のお茶業界が復活したそうです。気骨ある明治人の一人でした。
その後
横浜市会議員、神奈川県会議員に推挙され、議会では議長を務めるなど、政治家としても活躍した大谷嘉兵衛は、晩年亡くなるまでお茶業界振興に尽くしました。
1931年(昭和6年)1月22日のこの日、翁銅像の式典が行われてから二年後の1933年(昭和8年)2月3日90歳でその生涯を終えました。
処世訓は
「修養は怠るなかれ」
「信用は人生の花」
「人は平等、金は共通」
「用心は処世の要道」

3件のコメント

  1. たまたま立ち寄った静岡県の清水山公園に「大谷嘉兵衛爺像」という銅像があり、とても気になったので調べてみたところ、こちらに たどり着きました。モヤモヤが解決しただけでは無く、自分の育った町と深く関係していた人物だったと知り得る事ができ感動しました。また、全ての記事に興味があるので、楽しみができました。ありがとうございます!

    1. お読みいただきありがとうございます。
      静岡市(旧清水市)と横浜はお茶を含め様々なつながりのある都市です。
      何度か訪れながら、他にも書いておりますが、好きな街の一つです。
      機会がありましたら 横浜にも足をのばしてみてください。

  2. 1939年の東宝映画「東京の女性」のラストにちょっと映ります。
    当方横浜出身で伊勢山皇大神宮は時々行きましたが、映画を見ていて
    こんな銅像あったっけ?と検索して辿り着きました。建ててからそんなに
    経たずに撤去されてしまったんですね。映画も素敵だったので戦争は
    嫌だなあと思いました。

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