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【市電ニュースの風景】1931年 №18

目下1930年代の短期間に発行していた「市電ニュース」の風景を読み解いています。

light_市電ニュース18号二、三日
攝政杯争奪京濱両中等学校対抗
野球戦
=二日は午後一時より、三日は午前十時より試合開始=
=両日共横浜公園球場にて 電車花園橋下車=
五日
長者町水天宮大祭(電車 長者町一丁目下車)
五日
第二回「ロスアンゼルス」對横濱高商野球戦
=午後三時より横浜公園球場にて 電車花園橋下車=
五、六日
清正公御勝守授與(電車清正公前下車)
=両日共早朝より長者町八丁目清正公堂にて=
七日
『郵船』秩父丸出航(午後三時四号岸壁発 桑港へ)

懸賞標語
降りる時には 前から用意(当選者 川延松太郎 君)

[キーワード]
■攝政杯
攝政(せっしょう)
「天皇が未成年であったり,病気・事故により国事行為を行えない場合,天皇の名で国事行為を行う者。皇室典範に定める順序により,成年の皇族が任じられる。」
「旧典範下では皇太子裕仁親王(のち昭和天皇)が1921年(大正10年)11月25日より、1926年(大正15年)12月25日の大正天皇崩御とそれに伴う自らの皇位践祚まで摂政を務めた。この間、摂政宮(せっしょうのみや)と称された。」
ここでは 昭和天皇が大正時代に大正天皇の摂政を務めた時期に 行啓記念として設けられたタイトルのことと思われます。light_皇太子殿下行啓記念

■京濱両中等学校
東京と横濱の中等学校の選抜→詳細は不明です。

■長者町水天宮
長者町水天宮は戦前 長者町(現在の横浜市中区長者町1-3-3)
→神奈川日産自動車(株) 横浜中店のある場所の一角にありました。
1945年(昭和20年)5月29日横浜大空襲で、社殿・社務所・末社等が全焼
その後 米進駐軍により境内も接収されてします。
南区西仲町にある「河野与七」の子孫宅に、仮社殿を建築し奉斎されますが
1999年(平成10年)土地の氏神である「旧太田村総鎮守杉山神社」に合祀され、現在「水天宮」として新たに奉斎されています。
※戦後一時期 長者町エリアは 米軍の接収地となり多くの施設が強制退去となります。
light_201505060051

light_長者町水天宮あたりlight_P7102952light_P7102965light_P7102965■第二回「ロスアンゼルス」對横濱高商野球戦
→№17 を参照してください。

■清正公
「清正公(せいしょうこう)」
加藤清正を祀る清正公は全国にあります。有名なのは東京品川 清正公覚林寺 。
横浜では 中区福富町エリアに「清正公通り」「清正公プラザ」の名が残っています。
栄玉山常清寺境内にあり、開運祈願の場として町内会に人気がありました。戦災で常清寺が焼失し久保山へ移転します。
一方、「清正公」は横浜大空襲でも類焼を免れますが 維持管理が難しくなり1978年(昭和53年)常清寺に移されます。
地元から移ってしまった「清正公」のお堂を懐かしむ声も高まり、吉田新田を完成させた吉田勘兵衛の十二代目、吉田貞一郎(元吉田興産社長)が1997年(平成9年)に再建し
現在は横浜市中区長者町9-168 に祀られています。
(写真があるはずなんですが 現在捜索中!見つかり次第 アップします)

■『郵船』秩父丸
→『郵船』龍田丸の姉妹船です。
詳しくは この後の<号>にも多く登場しますのでその時に紹介します。
No.38 2月7日 鎌倉丸をめぐる4つの物語

No.38 2月7日 鎌倉丸をめぐる4つの物語


「秩父丸」は後に船名を変更し「鎌倉丸」となります。