1891年(明治24年)6月5日
「有限責任横浜船渠会社が設立認可」と資料から発見!日本鋳造(株)『日本鋳造50年史』や
『石川島重工業株式会社108年史』他に表記されていました。
横浜船渠(よこはませんきょ)と読みます。船渠は英語では<ドック>です。
今日はこの横浜船渠をネタにします。横浜船渠は現在のみなとみらいにあった造船所で、のちの三菱造船所となりました。
横浜船渠とは?
まず「Wikipedia」で確認。
http://ja.wikipedia.org/wiki/横浜船渠
ところが
Wikipediaでは摩訶不思議な表記になっています。本文には
『概要
イギリス人技師・パーマーは、港湾の発達には船渠(ドック)・倉庫などの付帯設備の充実も不可欠であることを説き、それを受けて渋沢栄一と地元の財界人らにより横浜船渠が1889年(明治22年)に設立された[注1]。』※この[注1]がまた不思議。
1889年(明治22年)に設立とありますが
沿革では
『1891年(明治24年) – 有限責任横浜船渠会社設立。』
と表記されています。???????
時々Wikipediaにはあるんですね。
<歴史の先生のアドバイス>
「歴史を学ぶなら まず自分の年表を作れ」と教えを得ていますので複数の資料から
今日はこの横浜船渠(よこはませんきょ)の簡単史を作ってみました。
すると
■■有限責任横浜船渠会社が設立認可された日、
1891年(明治24年)6月4日と6月5日の2つの日が浮上しました。
→ここでは 資料の提示に留めます。
(略年表)
1888年(明治21年)5月5日
「横浜船渠会社創立願書」を作成します。
1888年(明治21年)8月28日
「横浜船渠会社創立願書」の設立許可指令
1889年(明治22年)6月4日
弁天通3丁目に横浜船渠株式会社の設立地が定められ、長住町地先海面の埋立をはじめた(横浜歴史年表)
1890年(明治23年)1月31日
横浜船渠創立委員、船渠築造・工場敷地埋立(長住町地先埋立、現入船町)を県知事に出願(横浜の埋立)
1890年(明治23年)3月19日
横浜船渠会社創立に関する県知事諮問に対し、計画一部修正の上許可を決議(横浜市会の百年) 1891年(明治24年)6月4日
(有)横浜船渠による長住町地先海面埋立の出願許可(現入船町)(横浜の埋立)
1891年(明治24年)6月4日
弁天通三丁目原善三郎外三十二名創立発起人となり、船舶及船舶に属する諸器械の製造修繕の業を営むの目的を以て、横浜船渠会社を創立し、該事業施設の為め、長住町地先海面一万五千余坪を埋立、海面一万五千余坪使用するの願を許可せられたり(横浜沿革誌)
原善三郎ほか33名が(有)横浜船渠を入船町1番地に設立。(横浜の埋立)
1891年(明治24年)6月5日
(有)横浜船渠会社が設立認可(日本鋳造(株)『日本鋳造50年史』『石川島重工業株式会社108年史』他)1893年(明治26年)12月
横浜船渠株式会社に改組。(横浜の埋立)
※1894年(明治27年)3月6日
横浜船渠会社の設立が許可された(横浜歴史年表)※資料的に不確実
1896年(明治29年)9月1日
横浜船渠が日本郵船横浜鉄工所を吸収合併、船舶修繕・鉄工業の営業開始(横浜の埋立)
1897年(明治30年)4月18日
2号船渠 ドック(石造)完成(パーマーの設計)。
5月1日営業開始(横浜の埋立)
→1993年(平成5年)にドックヤードガーデンとしてオープン。
日本に現存する最古の旧商船用石造ドックとして重要文化財に指定1897年(明治30年)2月24日
浦賀船渠株式会社起工式
1898年(明治31年)年末
横濱船渠の長住町地先海面埋立工事がほぼ竣工(横浜の埋立)
1899年(明治32年)5月1日
1号船渠(石造)完成。(横浜商工会議所百年史 他)
→横浜船渠第一号船渠:設計は海軍技師・恒川柳作
大正期に延長され、総長204m、上幅34m、渠底幅23m、渠内深さ11mとなる。
※Wikipedia では1898年竣工とあります。
→重要文化財に指定され現在は「日本丸メモリアルパーク」1901年(明治34年)12月20日
横浜船渠株式会社埋立地の名称を<入船町>とする件可決(横浜市会の百年)
1908年(明治41年)11月5日
横浜船渠(株)新設の潮入船渠通水式が行われる。(横浜商工会議所百年史)
1910年(明治43年)12月3日
第3号乾船渠完成。日本で初となる全体がコンクリート造のドックである。
開渠式と中央倉庫(株)合併披露式も行われた。(横浜の埋立)
→閉鎖後埋立て
1917年(大正6年)5月29日
横浜船渠(株)が仮船台1基を竣工。造船業開始。(横浜の埋立)
1917年(大正6年)7月12日
横浜船渠会社入船町地先埋立出願に関する知事諮問に対し、条件付承認答申案可決(横浜市会の百年)
1917年(大正6年)8月28日
横浜船渠会社が資本金を10,000,000円に増資、造船台5箇の築造・工場設備の大拡張をはじめた。(横浜歴史年表)
1926年(大正15年)5月14日
日本郵船(株)の新造船三隻のうち一隻の建造を横浜船渠(株)に分托方同社長に意見書を提出する。(横浜商工会議所百年史 他)
1927年(昭和2年)7月15日
当地の繁栄上、横浜船渠(株)において優秀船建造方、日本郵船(株)に陳情する。
1930年(昭和5年)4月25日
氷川丸竣工。シアトル便就航。龍田丸はサンフランシスコ便就航。
1932年(昭和7年)7月19日
横浜船渠社長 横浜商工会議所副会頭である河上邦彦(64)が死亡退任。
1933年(昭和8年)9月30日
横浜船渠工信会と浦賀船渠工愛会が神奈川造船労働連盟を結成(横浜市史)
1935年(昭和10年)11月1日
三菱重工業に吸収合併。三菱重工業株式会社横浜船渠となる。(横浜商工会議所百年史 他)
1943年(昭和18年)7月1日
三菱重工業株式会社横浜造船所と改称。
横浜船渠の名称が消える。
※この間、大規模な労働運動も起こっていましたが 割愛しました。
No.283 10月9日 (火)三角菱のちから
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=317
No.116 4月25日 紺地煙突に二引のファンネルマーク
氷川丸が横浜船渠株式会社で竣工したのが1930年(昭和5年)4月25日です。
北太平洋航路の貴婦人と呼ばれた「氷川丸」にとって、4月25日は記念すべき日です。