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横浜製自動車 雑話(改訂)

1925年(大正14年)3月3日
アジア初の「日本フォード」製造工場が横浜市神奈川区子安に開設されました。
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=6947
このフォードの進出は、日本自動車産業界に大きなインパクトを与えました。light_20150523132628

日本の自動車生産革命が国内メーカー、アメリカメーカーの下で<横浜>から始まりました。

1925年(大正14年)2月に資本金400万円で「日本フォード社」が横浜市緑町4番地に設立されます。
そして3月3日、新子安に「日本フォード」の製造工場が生産を開始します。
当初は本国モデルの左ハンドルT型フォードをノックダウン生産しますがここでは右ハンドルモデルAの生産をおこないました。
遅れること二年、ゼネラル・モーターズが大阪に拠点を置き生産を初め米国二大自動車メーカーによる東西競争が始まります。light_20150508141642
1936年(昭和11年)に、日本政府は自国の自動車産業の保護育成を目的とする「自動車製造事業法」を制定。この法律により、国内資本が50%以上の企業のみ自動車製造が制限されたことで、
1939年(昭和14年)12月にはトヨタ・日産・フォード間の合弁企業設立交渉が行われたこともありましたが、軍部からの強い横槍があり夢の合弁はたち消えとなってしまいます。
日本フォード社は1940年(昭和15年)に操業停止を余儀なくされます。
1941年(昭和16年)12月から1945年(昭和20年)8月終戦までの期間は日本政府に接収され、陸軍収容財産となり全ての生産設備は解体され、倉庫だけが残ったそうです。
戦後の連合国軍接収を経てフォードに返還され、東洋工業の所有となり現在はマツダのR&D(研究開発)センターとなっています。
一方、自動車製造(株)が1933年(昭和8年)に資本金1000万円で横浜に設立されます。(社長 鮎川義介)
翌年の1934年(昭和9年)6月に日産自動車(株)と社名を変更。翌年から生産に入ります。
1937年(昭和12年)2月には販売体制を確立するために「日産自動車販売」を設立します。
現在の日産自動車横浜本社