絵葉書から横浜を読み解く
「写真絵はがき」の分野は、歴史資料としてみる場合に注意点や判断するには難しい制限項目も多く、資料的価値が定まっていないのが現状だそうです。
だからこそ 面白いのかもしれません。
今日の一枚
「横濱新桟橋 View of Fier Yokohama」
このモノクロームの一枚の船が描かれている一枚、
場所は新港埠頭です。
昭和5年頃の新港埠頭 |
現在の新興埠頭は埋め立てられ広くなっています |
明治後期から大正初期にかけて造成された新港埠頭は、
大桟橋だけでは港湾機能が間に合わないため二期にわたって工事が進められました。
現在は「赤レンガパーク」や「ワールドポーターズ」「カップヌードルミュージアム」他多くの施設が建っている人気のスポットになっています。
この絵葉書を読み解いていきます。
時代を探ります。
ここで注意しなければならないのが
「絵葉書」の発行年代と
オリジナル写真が同一年代とは限らないことです。
ここでは「写真の時代」に限定します。
はっきりわかる時代を探る手がかりが船の存在です。
「あんです丸」と船体に表記されています。
この「あんです丸」はファンネルマークや資料から
大阪商船船籍ということがわかります。
大阪商船は、日本の二大海運会社の一つライバル会社でもあった「日本郵船」よりも早く創設され、時には日本郵船を超える事もあった西の雄でした。
1884年(明治17年)に地元の小規模汽船船主70余名の大合同により設立され、やがて世界の主要定期航路に進出するようになります。
※大阪商船は後に商船三井に、日本郵船は1885年(明治18年)創設されます。
「あんです丸」について調べてみました。
1918年(大正7年)に竣工し7,772tの貨客船です。
1919年(大正8年)9月24日に欧州航路の「横浜〜欧州線」に就航します。
1934年(昭和9年)に第1次船舶改善助成施設で解体されるため売却されます。現役で活躍したのは約15年と当時の商用船としては短い期間の現役だったといえます。
→船舶改善助成施設は簡単に説明すると
国力(海運力)増強のためにスクラップアンドビルドを官民あげて行った施策です。
詳しくは別の機会に。
→「絵葉書写真」の時代は1919年(大正8年)〜1934年(昭和9年)となります。
この「あんです丸」が現役の時代には大きな事件が起こります。1923年(大正12年)に起こった関東大震災です。
→ここで、この「絵葉書写真」が
関東大震災前か関東大震災後かどうかがポイントとなってきます。
ここからは推測となってきますが、
映り込んでいる人々の服装や、上屋の作りから
震災前の光景の線が強いようです。絵葉書になっていることからも
「あんです丸」就航から間もない時期ではないでしょうか。
※ほとんどの女性が和装であること。
「あんです丸」は1919年(大正8年)横濱・欧州線に就航しています。
→「絵葉書写真」の時期は
1919年(大正8年)〜1923年(大正12年)ごろと推定できます。
新しい発見があれば 追記・修正をしていきます。
さて、この「あんです丸」には意外なエピソードがありました。
1923年(大正12年)に起こった関東大震災で莫大な被害があった首都圏に向けて、全国から救援の手が差し伸べられます。特に船舶は陸路では難しかった被災地へかなり近い地点に物資を運ぶことができたため
全国から救援船舶が動員されました。
その代表的な船舶の一つが「あんです丸」です。
震災の一報を知った旧制大阪府立清水谷高等女学校(大阪府立清水谷高等学校)の女生徒たちは、関東大震災慰問袋(1,498個)を不眠不休で作り震災から二日後の9月3日に築港の「あんです丸」に積み込み支援活動を行います。
また同窓会組織の「清友会」は義援金を集め、一緒に運びます。
かなり即効性のある支援活動で、末長く伝えていくべきエピソードでしょう。
さらに
この「あんです丸」に乗り込んだ一人の帝大卒の建築家がいました。
西門悠太郎
どこかで聞いたことありませんか?
NHK第12週 第68回「ごちそうさん」に登場している
主人公の夫です。
https://www.nhk.or.jp/gochisosan/story/story12.html
私は観ていないので(ブログで話題に)
正確な表現ができませんが、
「悠太郎は、支援物資とともに、地震発生から2日後の9月3日に『あんです丸』という船で東京に向かった。」そうです。
なかなか史実に沿ったシナリオ展開ですね。