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番外編「大岡川運河論」

最近齢も高齢者の仲間入りなので昔良く口出しては嫌われた
そもそもロンを”少し”展開させていただきます。
大岡川を考える時 何故「運河」がキーワードとなるの?
このあたりを 共有する 議論なり コンセプトワークが必要ではないか?
これが 今回の<そもそも>です。
「運河」うんが
「運輸・灌漑(かんがい)・排水・給水等のために、人工的に造った川。(wikipedia)」
「運河とは水利、灌漑、排水、給水、船舶の航行などのために、陸地を掘って造られた人工的な水路のことです。ヨーロッパではローマ時代から主要な交通 施設でした。
しかし、戦後になって鉄道などの新しい交通体系が発達し、運河は人々の生活から離れ、水たまりとなったり、埋め立てられて道路になったり、放置されて汚れていったのです。
しかし、人工的に造られた運河は波もなく、深さもある程度一定で、安全性の高い水路なのです。近年、ようやく水辺環境の見直しと共に運河の持つ魅力を再認識する動きが出てきました。
人々の知恵と工夫次第で、運河は魅力的に生まれ変わる力を秘めた水辺環境と言えるのです。」
http://www.thr.mlit.go.jp/karyuu/mizu-no-dokutsu/02.html
こう定義されています。
私は大岡川を模式図化してみました。大岡川って不思議な<シンメトリー>なんです。
源流の笹下川は鎌倉武士が築いた領地で、江戸を経て明治・大正・昭和に沿って流れ、平成のみなとみらいエリアに注いでいますね。

江戸時代から 笹下川下流域を
水利、灌漑、排水、給水、船舶の航行などのために(陸地を掘って)造られた人工的な水路が現在の「大岡川」「中村川」「堀川」そして「堀割川」です。
私は総称して
「大岡川運河群」と呼んでも良いのではないか?と考えています。
さらに中流域の「大岡川分水路」も運河です。
都市河川には「運河の思想」が必要です。
歴史と生活文化をも取り込んだ「大岡川運河論」を進めたいですね。

さらに枠組みを広げれば 自然というが
<完全な自然>など無く、人手(人工)との調和を議論しないと、原則論的な神学論争になってしまいます。

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