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第881話【時折今日の横浜】3月30日4mの背伸び

1934年(昭和9年)3月30日
「横浜税関庁舎(クイーンの塔)竣工(横浜税関百二十年史)」
横浜三塔の一つで三塔の内で、昭和に竣工したのがクイーンと呼ばれる「横浜税関」です。設計は<横浜税関>によると
「吉武東里氏(国会議事堂も設計)と伝えられているが、詳細は不明」としています。
その他の資料の多くは「吉武東里設計、戸田組施工」と表記しています。
何故?本元とデータが違うのか 良く判りません。
(4mの背伸び)
三代目横浜税関建設にはエピソードが残されています。
「関東大震災(大正12年)で税関庁舎も倒壊。その後、財政窮乏の続いた時代に、税関の仕事は平屋のバラック建で行われていた。そんな折り、時の大蔵大臣高橋是清が「失業者救済のため土木事業を起こすべき…」との発言。
1932年(昭和7年)第22代税関長に就任した金子隆三は、この意を受け
失業者救済をかねて三代目税関庁舎(現庁舎)建設に着手し、急ピッチで建設が進められます。
この時に、横浜港界隈には“神奈川県庁(高さ49m)”と“横浜開港記念会館(高さ36m)”という当時の高層建築物が2つランドマークとなっていました。
塔の高さ47mの税関庁舎の当初の設計図を見た金子税関長は「日本の表玄関たる国際港横浜の税関の庁舎とするなら、高くすべき…」と言及。設計図が書き直され、当初より4m高い現庁舎“横浜税関(高さ51m)”が完成したそうです。」

だからですかね、たしかに 少し首長に見えます。
竣工データは
SRC造、地上5階+塔屋。敷地面積が6,875m2、延床面積が12,184m2です。

(簡単な横濱税関史)
安政元年、米国との間に「日米和親条約」が結ばれます。
安政五年に「安政五カ国条約」が締結されこの条約ににもとづき、日本(徳川政府)は
1859年(安政六年六月)
開港し関税と外交事務をあつかう部署「神奈川運上所」を設置します。
場所は、現在の神奈川県庁本館のある場所で記念碑が建っています。
1866年(慶応二年)の大火で焼失
1867年(慶応三年三月)再建
18871年(明治4年)組織変更に伴い「神奈川運上所」を「横浜運上所」に改称。
※歴史のif
神奈川県は横浜県となったかもしれませんね。
No.79 3月19日 神奈川(横浜)県庁立庁日

その後、
1872年(明治5年)11月
「横浜役所」における「運上所」を「税関」と統一し関東大震災前までは、日本大通りが横浜港とつながる現在の象の「鼻パーク一角」にありました。
1885年(明治18年)11月
二代目税関庁舎竣工。清水満之助の請負といわれています。<中央に塔を配した煉瓦造2階建ての2代目庁舎><冬の横浜税関>

関東大震災ですべて倒壊、

倒壊した横浜税関

1934年(昭和9年)3月30日
横浜税関現本関庁舎(クイーンの塔)が竣工します。

竣工間もない横浜税関
占領中新港橋から税関

1945年(昭和20年)8月30日
横浜税関本庁舎は接収されアメリカ陸軍第8軍司令部が置かれました。一時期、税関長室をマッカーサーが使用していたこともあるそうです。
税関業務は、仮庁舎で行われ
1953年(昭和28年)11月にようやく接収解除となり 現在の場所に戻ります。