2月 14

No.46 2月15日 二つの祖国

「中国残留日本人孤児」という単語が新聞テレビで大きく取り上げられて30年、当事者以外私たちの記憶から消えかかっています。
1986年(昭和60年)の今日から一週間、相鉄ジョイナスの広場で「中国残留日本人孤児」写真展が開催されました。

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来日「中国残留日本人孤児」とは、中国に残された日本人及びその子供達を現地中国で捜索し、日本の親戚探しのために訪日した人たちのことです。
戦前や戦中に旧満州(中国東北部)に開拓団として移り住んだ日本人の子ども達で、1945年の敗戦前後の混乱の中、その多くが肉親と生き別れるなどの理由で置き去りにされた人たちです。
昭和56年3月から始まり平成6年11月まで25回の訪日調査を行いました。この「中国残留日本人孤児」訪日調査をいち早く記録に撮ろうと決断し行動した横浜のカメラマンがいます。
浜口タカシさん、横浜市南区在住。1931年生まれの80歳を超えるご高齢ですが、昨年の東北大震災にもいち早く駆けつけ取材し写真展を開催する行動派です。彼は写真館のオーナーであると同時に、ジャーナリストでもあります。「大学闘争」「三里塚」の記録作品はいまだ伝説に残る報道写真です。
今回、1978年(昭和53年)5月に完成した相鉄ジョイナスで開催された神奈川新聞主催「二つの祖国 中国残留日本人孤児展」は、昭和57年の第二回訪日調査から孤児らを追いかけた第6回までの120枚と進行中の第7回訪日団の写真を加えた展示を行いました。
この訪日調査で日本に永住帰国した孤児は2,536人、同行家族は6779人にも上ります。日本語を話すことが出来ない彼らへの復帰プログラムは上手く効果をだすことができませんでした。72年の国交正常化以降にようやく実現した活動ですが、国民とは何かを現在も突きつけられている日本の戦後史の一断片です。訪日された方が全て肉親と出会えた訳ではありません。分からなかった方々は第二の祖国に帰って行きました。
その後も浜口さんは取材を続け、写真展を開催していきます。未だに終わらぬ戦争の記録でもあり、時代の狭間で悲劇を甘受してきた人々の歴史でもあります。

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二つの祖国に次ぐ写真集 写真展の記事
2月 14

No.45 2月14日 バレンタインにふさわしい素敵なニュース

ちまたでは 今日2月14日はバレンタインデーです。
そろそろ気恥ずかしい年代に入ってきましたが、義理でも良いもんです。

1989年(平成元年)の今日、「声のテープカットは、ユーミンです。」という全面広告が新聞各紙を飾りました。

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縮刷版なのでグレーですがピンク色だったと記憶
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図書館にありましたので追加します

「本日、バレンタインデーでバレンタインにふさわしい素敵なニュースを2つ、プレゼントします。まず、日本最大の多目的ホールが、4月1日新横浜に誕生するというお知らせ。もうひとつ そのこけら落としはユーミンのコンサートという情報。ユーミンが、声でテープカットしてくれるなんて、感動なしにはすまされない。これはもう行ったもんの勝ち、です。」(原文ママ)
松任谷由実(ユーミン)の「Delight Slight Light KISS 横浜アリーナオープニングセレブレイションコンサート」が4月に新しくオープンする「横浜アリーナ」のこけら落とし公演として行われました。
ユーミンと同じ世代の私でした。海を見ていた午後で「山手のドルフィン」前だけ通り抜け、無いぞ無いぞと「中央高速」で右側をよそ見運転した時代が懐かしいです。

横浜アリーナは、横浜市とキリンビール、そして西武鉄道が出資した日本最大級の多目的ホールで1989年4月1日に開業しました。新横浜駅から徒歩5分の好立地、最大面積8,000 m²、最大収容人数1万7000人というスケールを持ちしかも「音響家が選ぶ優良ホール100選」にも選ばれています。
http://www.yokohama-arena.co.jp/
新横浜駅周辺にはアリーナの他に「日産スタジアム」「新横浜スケートセンター」があります。駅前は、それぞれのイベント内容により駅の風景が一変します。スタジアムとアリーナで異なったジャンルのイベントがあると「新横浜駅」は異次元が交錯し別世界に変身します。

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何時もはビジネスマンばかりが激変します

1989年以来、サザンオールスターズ、福山雅治、5月の3連休はジャニーズ事務所、最近では韓流タレントのショーなど恒例化しています。多目的ですので、スポーツ会場としても使用されています。ロボクシングの世界タイトルマッチの会場、全日本女子プロレスも頻繁に使われています。
卒業式、成人式、入社式、学会などにも使用されています。
※横浜アリーナのこけら落としは当初(横浜に生まれ育った)美空ひばりさんを予定していましたが、1988年の秋頃にはかなり体調が思わしくなく、急遽スケジュールをユーミンに変更したそうです。
美空ひばりさんは1989年(平成元年)2月7日に最後のコンサートを終え、翌日小倉で検査入院、その後舞台に立つことはなく、6月24日に亡くなりました。52歳でした。
No4 1月4日(水) 昭和の歌姫
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=619