肥料工場は日本工業化の代表産業でした。
肥料の歴史は、農業の歴史でもあります。かつて人類は、移動する狩猟生活から定住する農業にシフトするキッカケを得ます。これによって農業生産による食料の安定確保が可能となりカロリー量の高い食物を生産することが可能となり人口が急増し人類の文明が一気に拡大します。
それが、農地の<地力>を維持させる肥料という知恵です。
それが、農地の<地力>を維持させる肥料という知恵です。
焼畑農業、輪作等を生産力維持の手段としてきましたが、農業は積極的に肥料を使用することで、人類は生産力を爆発的に増加させることを学びます。
農耕型の生活様式は、山から栄養分を運ぶ河川周りに発展します。
特に平野の少ない日本の国土では、集約型農業であったこともあり氾濫する河川に加え肥料が重視されました。
特に平和な戦争のない時代が200年以上続いた江戸期から<肥料>は重要な商品ともなり市場を作り出していきます。
特に平野の少ない日本の国土では、集約型農業であったこともあり氾濫する河川に加え肥料が重視されました。
特に平和な戦争のない時代が200年以上続いた江戸期から<肥料>は重要な商品ともなり市場を作り出していきます。
江戸の農業革命は肥料革命でもあったのです。
魚粕、菜種粕、人糞尿、骨粉などが肥料として活用されました。江戸期、貧乏長屋で家賃を滞納しても立ち退かなくて済んだのは、住民の人糞尿が高額で近郊農業の肥料として買い取られたからです。
そして近代は化成肥料の生産(工業化)をもたらしました。
化成肥料生産は19世紀の中ごろから20世紀初頭に始まり、農業生産に大きく貢献し国家政策にまでなります。戦前、満州の植生を剥ぎ取り無理やり大豆を生産し日本の重要な肥料供給地であったことは意外に知られていません。
化成肥料生産は19世紀の中ごろから20世紀初頭に始まり、農業生産に大きく貢献し国家政策にまでなります。戦前、満州の植生を剥ぎ取り無理やり大豆を生産し日本の重要な肥料供給地であったことは意外に知られていません。
肥料を分類すると無機質肥料(化学肥料)と有機質肥料に分かれます。
そして無機質肥料は単肥(チッソN、リン酸P、カリKのうち一つの成分を含んだ肥料)と複合肥料(チッソ、リン酸、カリのうち2成分以上を含んだ肥料)とに分かれます。
そして無機質肥料は単肥(チッソN、リン酸P、カリKのうち一つの成分を含んだ肥料)と複合肥料(チッソ、リン酸、カリのうち2成分以上を含んだ肥料)とに分かれます。
目下地球的規模で危機となってるのが安価だったリン酸の原材料の枯渇です。
農業とは何かを調べてみると
wikipediaに面白い定義が示されていました。
「農業は、土壌から栄養を吸って生育した植物を持ち去って利用する行為」
土壌の栄養を追加することを追肥をいいます。
肥料の定義を示してみます。
「植物の栄養に供すること又は植物の栽培に資するため土壌に化学的変化をもたらすことを目的として土地に施される物及び植物の栄養に供することを目的として植物に施される物をいう」
人口あたりの農耕地面積が狭い日本にとって肥料生産は国力の基幹となった訳です。
舞台を横浜に移します。
明治以降、横浜が貿易中心から工業化へシフトする過程で、肥料関係の企業も存在感を示します。食油製造に使用する大豆の搾りかすは肥料の原材料となるため、関連企業が設立されました。
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=8086
昭和初期(戦前期)の京浜地域の地図を眺めてみると
肥料関係の工場、企業が点在しています。
◯大日本人造肥料株式会社
1887年( 明治20年)4月
高峰譲吉、渋沢栄一、益田孝ら明治の先覚者により、わが国初の化学肥料製造会社である東京人造肥料会社として創業
1910年(明治43年) 7月
大日本人造肥料株式会社に商号変更
1931年(昭和 6年) 2月
大日本人造肥料株式会社肥料試験場(横浜市子安)が白岡に移転。
その後「日産化学工業株式会社」となります。
◯加里工業
神奈川区恵比須町9・10
隣接して
◯全国購買組合聯合会
肥料を含めた購買をまとめた協同組合の先駆けとして戦前の肥料飼料の購買に大きな影響をあたえました。
肥料を含めた購買をまとめた協同組合の先駆けとして戦前の肥料飼料の購買に大きな影響をあたえました。
食油産業も化成肥料の生産の一翼を担います。
◯鈴木商店
1922年(大正11年)
4工場(大連・清水・鳴尾・横浜)を分離独立させ
豊年製油(現・J-オイルミルズ)を設立します。
社の沿革には
「大豆粕は肥料として一般農家に安く提供、食料増産、輸入肥料の代替という点で国家に大きく貢献した。」
◯帝国社農芸化学
企業の詳細不明
◯有機肥料会社
企業の詳細不明
横浜が誇る食油老舗「岩井の胡麻油」も1926年(大正15年)昭和初期に<製油肥料合名会社>となった時期がありました。
●岩井の胡麻油 沿革から
1893年(明治26年)
横浜市神奈川区御殿町に搾油工場を設立
1900年(明治33年)
横浜市神奈川区青木町に工場移転。岩井製油合資会社設立
1914年(大正3年)
横浜市神奈川区星野町に大規模工場を設立
1921年(大正10年)
家庭用化粧小缶を発売。大正博覧会で金賞受賞
1926年(大正15年)
岩井製油肥料合名会社に社名変更
1947年(昭和22年)8月27日
岩井製油株式会社設立
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20180831修正加筆