橋は人やモノを繋ぐ役割を担っています。
川に、道路に、海に架かる橋がありますが
ひと際目立つ
横浜にある“赤い橋”を紹介しましょう。
詳細に調べていませんが
私が見つけた範囲で“赤い橋”ベスト3紹介します。
第一位 浦舟水道橋
第二位 打越橋
第三位 称名寺平橋・反橋
この三つの赤い橋は、それぞれ特徴のある橋です。
●「浦舟水道橋」は
横浜市南区の中村川に架かる橋です。
→詳細は後半で紹介します。
●「打越橋」
道路に架かる橋です。跨道橋(こどうきょう)といいます。
迫力ではNo.1ですね |
横浜市中区打越の「横浜市主要地方道80号横浜駅根岸線」に架かっています。
構造は鋼ランガー橋
「この橋は関東大震災の後、路面電車の線路敷設により造成された切通しを跨ぐため 、建造された美しいアーチ形式の鋼橋である。両側を石積擁壁と草木で覆われたV字形の空間に鮮やかな朱色のアーチが架かる景観は、横浜を代表する橋の品格をそなえ、地域のランドマークともなっている。」
●「称名寺平橋・反橋」
横浜市金沢区にある国宝のある称名寺
庭園の池に架かる橋です。
参道橋とでも表現しておきましょう。
木製の再現された単純桁橋、アーチ橋です。
(浦舟水道橋)
今回は「浦舟水道橋」について少し詳しく紹介しましょう。
「浦舟水道橋」は、大岡川、中村川、堀割川水系の中でひと際目立つ真っ赤な橋です。現在は人道橋となっています。
場所は横浜市南区中村町3〜191地先
120年の歴史があります。意外に感じられるかもしれません。 |
「浦舟水道橋」移設の歴史
1893年(明治26年)「西の橋」として架設されました。
M25の頃の西の橋。かつて横浜製鉄所があったあたりです |
No.108 4月17日 活きる鉄の永い物語(一部加筆修正)
神奈川県の土木技師・野口嘉茂の設計により英国シェルトン社製の鋼材を使用して作られました。
現在の「西の橋」は震災復興橋梁として大正15年に竣工され
旧西の橋は解体され、1927年(昭和2年)翁橋の位置に移設されました。
1989年(平成元年)「浦舟水道橋」として現地に再移設されながら残された歴史的遺産です。
処分されず保全活用してきた諸先輩に敬意と感謝を捧げたいと思います。
橋のたもとには記念プレート(消えかかって読みにくい)には
「現存する道路橋としてはわが国最古のピン結合のプラットトラス橋である。」
とあります。
※「プラットトラス(Pratt truss)とは、斜材を橋中央部から端部に向けて「逆ハ」の字形状に配置したものである。ピン結合に適した構造で、日本では明治時代によく採用されたが、やがてより部材が節約でき軽量化を果たせるワーレントラスに移行した。」
ピン結合プラットトラス橋は、
西の長崎市にある出島橋も同様の構造で市街地開発の中、奇跡的に残っっています。
http://www.city.nagasaki.lg.jp/sumai/670000/676000/p001689.html
→長崎の「出島橋」は通った記憶がありますが残念ながら写真に収めていません。
(余談)
「私立探偵 濱マイク」で“濱マイク”が女の子とジャンケン、チョコレートを食べるシーンに使われました。移設したてのころです。