(以下の記述はJR桜木町駅が改装される前のものです)
普段は全く気にも留めていなかったところで発見。
桜木町駅改札前のサインボード表示に
「エドモンドモレル記念碑」だって?
頻繁に利用している割に気がつかないものだ。
あのこと?
「エドモンドモレル記念碑」
これ自体はかなり有名なのでご存知の方も多いだろう。
改札前のサインボードにこの「エドモンドモレル記念碑」
という表記があったことに気がついたことから
改めて「エドモンドモレル記念碑」を探ってみた。
(少し調べてみた)
この記念碑
それにしても落ち着かないところに設置されている。コインロッカーのスペースに鎮座しているが、一昔前は通路だったのでここに「エドモンドモレル記念碑」は無かった。
一時期駅舎内に掲示され(保管されていた時期もある)この「記念碑」は、日本最初の駅舎(汐留と並んで)だったことの“なごり”なのだろうか。
大昔のモレルレリーフ |
現在の碑にある説明版には
「1865年、英国土木学会員に選ばれる。1870年、鉄道敷設を計画していた日本政府は初代鉄道建築師長として雇用し、10数名の技術者とともに日本に招いた。
1872年を目標に新橋〜横浜間の鉄道事業はモレルの監督のもと着手されたが、日本の鉄道開通を見ずに1871年29歳で他界。イギリス人。
横濱開港150周年を記念して
東日本旅客鉄道株式会社 横浜支店 2009年6月」
とある。
No.164 6月12日(火) JR JR
元々の碑には十河信二氏によって銘が刻まれている。
十河信二(そごう しんじ)
第4代日本国有鉄道(国鉄)総裁で
「新幹線の父」の名でご存知の方も多いだろう。関東大震災(1923年)の時、復興のために設立された帝都復興院に出向し“オオナタ”を揮う予定が疑獄の中失脚。満鉄に勤めるが1938年(昭和13年)に辞職し戦後しばらく鉄道から離れるが、1955年(昭和30年)5月14日に71歳の高齢で国鉄総裁に就任する。
当時、大きな鉄道事故が連続し加賀山之雄、長崎惣之助 両総裁が辞任。
立て直しのために4代総裁に就任した。
十河信二は戦前、標準軌にこだわった人物でもある。
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/404.html