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No.430 鶴見警察署長・大川常吉

今日は連発です。
年表で探しにくい「3月21日」のエピソードです。
この日に因んだ「大川常吉」さんの話しを紹介します。
大川さんは関東大震災の時、流言飛語に凛とした態度で正義を守った人物として、現在まで語り継がれている人です。

横浜市鶴見区潮田にある「東漸寺(とうぜんじ)」本堂横に建つ記念碑には
「故大川常吉氏の碑
 関東大震災当時、流言飛語により激昂した一部暴民が鶴見にすむ朝鮮人を虐殺しようとする危機に際し、当時鶴見警察署長故大川常吉氏は、死を賭してその非を強く戒め、三〇〇余名の生命を救護したことは誠に美徳である故、私たちはここに故人の冥福を祈り、その徳を永久に讃揚する。
       一九五三年三月二一日 
           在日朝鮮統一民主戦線鶴見委員会」

と記されています。


No.245 9月1日(土)災害は忘れなくとも起きる

震災後のパニック状態の中、
約300人の朝鮮人、中国人を暴徒から守った警察官が大川常吉です。
この事を知ったのは 10年前にこの本の著者キョンナムさんのトークショーで紹介された一冊の本「ポッカリ月が出ましたら」からでした。


大川常吉さんは1877年(明治10年)に生まれ、震災時は46歳でした。
大正12年9月1日に起った関東大震災の直後、
「朝鮮人が井戸に毒をいれた。」
「震災の混乱に乗じて日本人を襲ってくる。」
というデマが広がり、全国で朝鮮人に対する迫害、襲撃虐殺事件が起こります。
この朝鮮人に対する流言飛語は、無責任な“新聞記事”も
火に油を注ぐ役割を果たしました。
当時の鶴見警察署は署員30人あまりの今とは比較にならない小さな警察署でした。ここに震災で被災したおよそ300人の朝鮮人・中国人が保護を求めてきました。署長大川常吉さんは、警察署を取り巻いて騒乱状態になっている中で
「持っているビンに毒が入っている。たたき殺せ」という声に
「その井戸水を持ってこい。私が飲んで死ねば朝鮮人を引き渡す。異常が無ければ私に預けよ。」
「私を信頼しないのなら、朝鮮人を殺す前に、この大川を殺せ。自分を殺してから中へ入れ。」
と警察署の入口に仁王立ちで暴徒に冷静さを求めたという事件です。
「どこの国の人間であろうと、人の生命に変わりはない。それを守るのが私の任務だ。」とも語ったそうです。
この碑に記されている
「在日朝鮮統一民主戦線」という厳めしい名は
今緊張感の高まる北朝鮮系「朝鮮総連」の前身ですが、
日本人を賞賛することはかなり珍しいことだと在日の友人も語っていました。
地元では 現在でも語り継がれているそうです。
当時、鶴見町の有力者・町議会議員だった人の日記が残されているそうです。
事件の時、大川署長とまちの人々とのやりとりも克明に記録があるそうです。
日本の小さな街の小さな事件ですが、
 この時代と、人間の尊厳を再確認する 重い事件といえるでしょう。

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