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No.416 一枚の案内パンフ

今日は大枚800円もはたいて購入した
一枚のパンフレットから見える風景を紹介します。

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【注目1】湘南アルプス
最近は
高麗山(168m)〜八俵山(160m)〜浅間山(181m)〜湘南平(160m)の丘陵を「湘南アルプス」と表現するらしい。
ところが、
昭和12年頃、金沢文庫から「湘南アルプス」の上り口があったようです。
現在は「横浜の屋根」 という呼び名をするそうです。
“釜利谷”の金沢自然公園、釜利谷市民の森〜氷取沢あたりと推定できます。
峯の灸寺は円海山護念寺・峯の灸のことです。

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【注目2】湘南電鉄
湘南電気鉄道(略して湘南電鉄)わが国最初の1,435mm軌間の採用
運行期間は黄金町 – 浦賀間と金沢八景 – 湘南逗子間が1930年(昭和5年)4月開通し翌年の1931年(昭和6年)黄金町 – 日ノ出町間が開業しました。
1933年(昭和8年)4月から京浜電気鉄道と相互乗入れを実現しました。

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1941年(昭和16年)11月に合併解散し京浜電気鉄道に一本化され現在の京浜急行電鉄の前身となります。
だから!
正確にはこの地図が作られた昭和12年は相互乗入れ期ってことですね。
京浜電気鉄道の名が無い!!!???
この頃は、京浜より湘南の方が強かったのかな?

【注目3】裏面にも
緑と水の魅惑!
湘南電気沿線の新緑!!
軽快な「最新式展望電車」とあります。

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手元に資料が無いので 後日探してみます。
当時、モテハ220形とい う木造展望車が東北宮城を走り
ガイドガールが乗務し、熱い紅茶のサービスがあったそうです。
モテハ220形?これもどんな車両だったのか
知りたい!

1941年(昭和16年)11月1日に)3社合併、社名をを京浜電気鉄道(株)に。
11月25日には、五島慶太が取締役社長に就任します。
一時、京浜急行は東急傘下に入りますが
戦後すぐに 財閥解体時に独立します。

一枚の小さな チラシ 衝動買いしたので
無理矢理 紹介しました。お粗末様。

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