幕末の10年、そして明治以降の10年は日本の激変の20年でした。
特に開港場だった横浜はそのど真ん中です。
今日は、横浜から始まった明治の近代警察について簡単に紹介しましょう。
加賀町警察 |
神奈川県警が発足して139年、来年2014年には140周年を迎えます。
起算の根拠は、1874年(明治7年)6月1日、横浜の堺町二丁目に当時29,000円余りの予算を使って邏卒本営(警察本部)が建てられたことに始まります。
この日を「近代警察 神奈川県警」の始まりとしています。
邏卒本営の建った横浜区堺町二丁目は現在の日本大通り横浜地裁と横浜公園の間あたり“日銀横浜支店”あたりではないでしょうか。
この邏卒本営(らそつほんえい)が
1877年(明治10年)1月25日に堺町警察署となり、
ここから加賀町、伊勢佐木などの警察署が分署していきます。
同じ年の翌2月に、長者町、松影町、戸部、高島町、山手に警察署が置かれ
堺町と合わせ最初の六分署がスタートします。
明治期に何回か統合・分離を繰り返しますが
戦後、概ね各区に一つずつ設置されました。
現在、横浜市内には21の警察署があります。
中区には歴史的背景から4つも警察署があります。
筆頭警察署として関内エリアを管轄とする
「加賀町警察署」は堺町警察署に統合される前は「居留地警察」でした。
映画「霧笛が俺を呼んでいる」や多くの映画に登場しています。
「山手警察署」は“ドラマあぶないデカの舞台”ともなった警察署で、居留地警察の分署だった時代もあります。
戦後 米軍基地を中心に管轄していたので「エリヤX」という謎の南区のエリアも管轄しています。
※余談
謎の「エリヤX」
横浜市南区 「山谷」および「平楽」のうち(在日米軍の住宅専用地区「根岸住宅地区」通称エリヤX)は南区の「南警察署」ではなく(エリアONEお得意の?)山手警察が管轄しています。→現在返還が決定しています。
関外エリアを管轄とする
「伊勢佐木警察署」は、堺町警察署の源流を組む署で、1882年(明治17年)に吉田橋南詰、現在の伊勢佐木タクシー乗り場あたりに設置されました。この時、長者町署が廃止され、伊勢佐木警察の管轄となりました。その後、山吹町に移転し現在にいたります。
そして港町らしい警察署が
「横浜水上署」です。
主に港湾内の警察業務を行いますが、
管轄は陸上エリアもあります。
中区内の大桟橋ふ頭、新港町、新港ふ頭、山下ふ頭、神奈川区内の瑞穂ふ頭、鈴繁ふ頭、山ノ内ふ頭等の一部
河川の大岡川、中村川、帷子川、入江川、鶴見川の一部も入っています。
「横浜水上署」も
「居留地警察」に似て、1868年(明治元年)に外国船を中心に警備する水上見張所がルーツとなる歴史在る警察署です。海の管轄区域は鶴見区から金沢区までの横浜港湾全域をカバーしています。
(邏卒)
最後にら邏卒(らそつ)について少々触れておきます。
ら卒とは、Patrolmanを訳した
「巡邏番卒」の略で、Wikiには
「1871年(明治4)10月東京府で3000名の邏卒を設けたのが最初。」とありますが、
「神奈川県警史(上)」には1871年(明治4年)8月に、睦奥宗光がこれまで使っていた県兵を止め、独自に3階級の取締役(呼称はポリス)を5区域に配置したとあります。これが名称こそ邏卒に変わりますが、近代警察のはじまりといえるのではないでしょうか。
全国的に、明治維新になりそれまでの全国諸藩が独自に警察権を行使していた制度を中央集権に改めようとしますが、かなり混乱が起きたようです。
横浜は、その点過去のしがらみもなく、かつまた多くの外国人(要人)を居留地にかかえていましたのでいち早く先駆的警察制度が整備されます。
初代県令だった陸奥宗光が、
優秀な部下二人「大江卓」「石田栄吉」に命じ、先進国の警察制度を研究し新しい制度設計を行い、警察組織の制度改革(制度導入)を政府に上申し認められます。
そして東京(日本政府)が近代警察制度を全国に整えることとなるのです。
※この時、陸奥を始め神奈川県は居留地外国人(主に英国領事)と、居留地内の警察権を巡って熾烈な議論となっていたこともいち早く外国制度を研究するキッカケとなったことはいうまでもありません。
別の項で紹介しますが
明治維新期、睦奥宗光、大江卓という卓越した行政手腕を持ったリーダーが横浜にいたことは、日本にとっても横浜にとっても最大級の幸運でした。
No.257 9月13日(水)司法とアジアの独立
No.350 12月15日(土)横須賀上陸、横浜で開化。