No.367 1月1日(火)この駅「日ノ出町駅」

あけましておめでとうございます。
今年2013年(平成25年)1月1日から一年、
よろしくお願いします。
正月だからまず何から始めようか?
初日の出ということで、今年は京浜急行「日ノ出町駅」からのんびり始めます。

プロローグ
(湘南と東京を結ぶ駅)
「日ノ出町駅」は1931年(昭和6年)12月26日 に「湘南電気鉄道」と「京浜電気鉄道」が結ばれ誕生した駅です。
前年の1930年(昭和4年)2月に「京浜電気鉄道」の高輪駅と横浜駅間が開通し、同年4月に「湘南電気鉄道」が黄金町駅と浦賀駅の間を結んでいました。
No.88 3月28日 京浜湘南電鉄連結地点

当初「湘南電気鉄道」は黄金町駅から大岡川に沿って「国鉄桜木町駅」まで延伸する予定でした。その名残が現在も日の出町、野毛の道筋として残っています。


「京浜電気鉄道」「湘南電気鉄道」軌間規格が異なる二社の決定的違いを乗り越えた開拓精神が、現在の京浜急行を誕生させることになります。


(トンネルを抜けて)

横浜駅から京浜急行下り線に乗り、戸部駅を過ぎると連なる三つのトンネルがあります。
御所山トンネル、上原トンネル、野毛山トンネルです。
横浜市西区南部の丘陵地帯を一気にくりぬいたトンネルを抜けると、崖にへばりつくように「日ノ出町駅」が出現します。


日ノ出町はカーブした駅で、しかも道路(県道)の上にプラットフォームがあるかなり無理をして造った駅のなごりが今も残っています。


二社の規格を揃え1933年(昭和8年)4月1日に品川と浦賀間の直通運転が実現し横浜市内南西部の重要な首都交通路線となります。

この駅の象徴、昔から残っているタイル模様の三浦半島。

1964年(昭和39年)に国鉄根岸線が桜木町駅から磯子駅まで延伸するまで、日ノ出町駅は伊勢佐木町界隈に出かける最寄り駅でした。

※昔、日ノ出町駅前には山手英学院という予備校がありました。駅前という便利さもあり横浜市内有数の独立系予備校でした。山手英学院は、港南台に「山手学院(中・高】」を作り、日ノ出町の英学院は有隣堂の経営を経て廃校となりました。

 この頃、予備校に通う生徒の食欲を満たした小さなラーメン店が「いろは」で、一時期ご主人が体調を崩し閉店していましたが、現在場外馬券売場「WINS横浜」横で復活しています。


(ぶらり散歩には最適)

京急日ノ出町駅はふだん目的が無い限りあまり降りない駅ですが、ぶらり降り立つにはかなり魅惑的な街です。
簡単に日ノ出町駅前ぶらり観光情報を紹介しましょう。
■聖俗アダルトからキッズまで
今、日ノ出町駅前は再開発計画がようやく実を結び、大改装中です。

駅前の「不二家」も無くなりました。現在整地が終了し、基礎工事が始まったところです。(2013年1月)


この街は、ストリップ劇場「浜劇」、アダルト専門映画館「横浜光音座」、場外馬券売場「WINS横浜」などがありその先には、福富町・野毛界隈が拡がるオトナの街です。

一方で、伊勢山皇大神宮、横浜市立中央図書館、野毛山公園、野毛山動物園、大岡川河畔などもあり聖俗混合の不思議な(本来の街?)味わいがある界隈です。

■記念碑

日ノ出町界隈には、美空ひばり、長谷川伸の記念碑があり昭和という時代を感じることができます。
1948年(昭和23年)5月に美空ひばりが横浜国際劇場会館一周年記念特別興行で前座として笠置シヅ子の「セコハン娘」を歌い大喝采を浴びます。この劇場支配人福島博との出会いから、横浜国際劇場の客員としてデビューし後に準専属となり大スターの道がここから始まります。
この横浜国際劇場は現在JRA場外馬券売場となっています。
一方の長谷川伸は昭和前期に活躍した日本の小説家、劇作家です。この日の出町で生まれました。


「股旅物」というジャンルを築き、彼の作品中の「仁義」を切るシーンは実家が没落して若い頃に横浜ドックで働いていた頃に覚えたものをモデルにしたというエピソードがあります。

彼の文学的評価は昭和の大衆小説に輝くものですが、もう一方で新鷹会という文学学校を主宰し村上元三、山手樹一郎、山岡荘八、戸川幸夫、平岩弓枝、池波正太郎、西村京太郎らを育てたことは特筆に値します。
※日本丸ドックの一角にも長谷川伸文学碑があります。

■アートの実験エリア
湘南電気鉄道「黄金町駅」から京浜電気鉄道「日ノ出町駅」の高架線周辺をアートで新しい街づくりを行っているゾーンがあります。
黄金町エリアマネジメントセンターが運営しています。
http://www.koganecho.net/
名称は「黄金町」ですが日ノ出町駅の方が最寄り駅です。
詳しく紹介したいところですが、別の機会にします。HP等で確認の上、イベントやショップに行ってみると良いでしょう。

■100円ワンコインバスなら日ノ出町

みなとみらい100円バスの赤レンガ倉庫行は、始発が日ノ出町駅前です。

 

2件のコメント

  1. 69歳の男性です。
    半世紀余り前の1970(昭和45)年、高校2年生から翌年にかけて、大学受験のための夏期講習や冬期講習に通っていました。
    当時は真夏でもエアコン(冷房)などはなく、教室の真ん中に大きな氷柱が置かれていたのを憶えています。さほど冷房効果があるとは思えず、多分に視覚による気分的なものだったようです。
    特に古文・漢文は高校の授業よりも解りやすく、大いに役立ちました。

  2. 私は、小5の冬(昭和47年)から小6の2月(昭和49年)まで、春、夏、冬休みも通ってました。
    私の頃は、冷房があったような記憶があります。
    塾のざるそばや、友達と帰りに日ノ出町の立ち食いそばをよく食べました。
    模試の日(日曜日)は、ガード下のどさん子ラーメンだったような?
    その後、時がたって黄金町の竹内化成に模型用のFRPの材料を買いに行ったり。
    さらに時が経って、夜中に通ったら、あの辺がピンクの蛍光灯に染まってたのはいい思い出です。

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