今年最後の月に入り31話を残すところとなりました。
師走とは良く言ったもので、慌ただしさが先立つ月です。
2012年は年末に衆議院選挙まで行われることになり
“ある意味”立候補者には残酷な12月となりました。
1927年(昭和2年)12月1日(木)の今日は、
横浜を代表するホテル ニューグランドが開業した日です。
NGの昔の紙袋です。今も使用? |
「株式会社ホテル、ニューグランド」
関東大震災で横浜でも多くのホテルが倒壊し多くのホテルが経営を断念します。
中でも多くの外国人に愛されたグランドホテルの廃業は、市内の観光産業にとってもショックでした。
「関東大震災の直後に横浜市長に就任された有吉忠一氏は、荒廃した横浜市の復興に専念し、そのためほとんどテントホテル(外国人収容のためのテント張りの幕舎からバラック建てに変わったもの)に泊まりきりで采配を振るった。このとき有吉市長はホテル施設の必要性を身をもって痛感したところから…」実現に乗り出します。(50年史)
1926年(大正15年)7月 に会社を設立し、約1年半で開業にこぎつけます。
新しいホテル設立に出資した株主は256人(社)、ほぼ横浜に関係する全ての経済人が参加します。
登記簿では「ホテル、ニューグランド」、がつきます |
※「ホテル、ニューグランド」社名登記で“、”が入るのは珍しい
設計は、近代日本を代表する建築家の一人“渡辺 仁”を登用します。
銀座四丁目の服部時計店(現和光)、東京国立博物館、第一生命館などが代表作ですが現存する初期の“渡辺 仁”作品がホテルニューグランドです。
このホテルの施工を担当した清水組についても触れておきます。
1858年(安政5年)に井伊直弼が横浜整備を行うにあたり開港地・横浜の外国奉行所などの建設を請け負ったのが創業者清水喜助です。
明治元年竣工の築地ホテル館で清水組の名を不動のものにします。
震災後もいち早く復興体制をとり、さらに横浜との関係を深めていきます。
ホテルニューグランドに関するエピソードは数多くあります。
※初代総料理長サリー・ワイルが育てた日本の西洋料理
※ニューグランドから生まれたナポリタン
※作品を生む小部屋 大佛次郎の書斎
※戦前戦後に二度宿泊したダグラスマッカーサー
この4つのテーマだけでも分厚いエッセイが何冊も発刊できるエピソードになります。
2010年のAPECでは、
アメリカ大統領オバマが(周囲の迷惑顧みず!?)ニューグランドに泊まります。
太平洋航路とこのホテルの関係は、日米関係の架け橋でもあったようです。
『ホテルニューグランド50年史』白土秀次著 中央公論事業出版
『横浜流?すべてはここから始まった』高橋清一著 東京新聞出版局
『初代総料理長サリー・ワイル』神山典士著 講談社
『横浜の時を旅する』
(ホテルニューグランドの魔法)山崎洋子著 春風社
エピソード満載 |
※余談
私の結婚披露宴はここで