日本のオーケストラにとってパイオニア的存在といわれた音楽家、
近衞 秀麿が1926年(大正15年)11月27日の今日、
横浜市の指路教会で新交響楽団の指揮を執りました。
(早大横浜主催演奏会)
11月27日に尾上町のヘボンゆかりの指路教会で開かれた早大横浜主催の新交響楽団演奏会で近衞 秀麿が指揮したプログラムは下記の通りです。
<youtubeのリンクは曲の紹介です>
●モーツアルト(Mozart)
交響曲第41番 ジュピター
http://www.youtube.com/watch?v=A8M0D3sMa68
●J.シュトラウスⅡ(Johann Strauß II)
ワルツ「美しき青きドナウ」op.314
https://www.youtube.com/watch?v=ILrNs9JRSlY
●J.ヤーネフェルト:前奏曲
●ビゼー(Georges Bizet)
「カルメン」 より 前奏曲と3つの間奏曲
http://www.youtube.com/watch?v=8ieeB4nqSic
http://www.youtube.com/watch?v=sb6IlrtrY4U
●R=コルサコフ( Nikolai Andreyevich Rimsky-Korsakov)
「雪娘」 より「軽業師の踊り」
http://www.youtube.com/watch?v=t5Ma6IpNivY
(新交響楽団)
兄文磨の影響でクラシックに夢中になり、学生時代には山田耕筰に師事し“日本交響楽協会”設立のために奔走し実現しますが、直ぐに対立することになります。その理由は略しますが、音楽会、メディアを騒がす一大騒動になります。
近衞 秀麿は山田耕筰の“日本交響楽協会”を脱退し10月6日に新交響楽団を結成します。この近衞率いる「新交響楽団」が現在のN響の源流となります。
「新交響楽団」は、新規結成後10月からキャラバンを開始します。
東京、千駄ケ谷の日本青年館で数回
大阪、朝日会館
兵庫、神戸の神戸青年会館で数回
東京、銀座の邦楽座
東京、内幸町の帝国ホテル講堂
で短期間に連日のように演奏会を行います。
そして横浜会場となった「指路教会」でこの演奏会となります。
ラジオ放送を活用し演奏会を広くPRし、録音という新しいメディアも積極的に活用した活動が近衞 秀麿を“日本のオーケストラのパイオニア”と評された由縁です。
彼は音楽仲間達から「おやかた」と呼ばれるようになります。
(濱のおやかた)
その後(戦前)、何回か“おやかた”近衞は横浜で演奏会を開催しています。
1928年(昭和3年)30歳の時、2月に開港記念会館で新交響楽団を率いて演奏会を開催します。この時、ピアノ独奏が井上園子でした。
ウェーバー:「オベロン」序曲
メンデルスゾーン:P協奏曲 第2番 ニ短調 op.40 (日本初演)
イッポリトフ=イワノフ:組曲「コーカサスの風景」 より「村にて」、「酋長の行進」
ビゼー:「カルメン」第1&2組曲
ブラームス:ハンガリー舞曲 第5&6番
続いて
3月に横浜音楽協会主催で同じく開港記念会館を開場にして
独唱(奏):佐藤美子(Sp)、齋藤秀雄(Vc)
シューベルト:「ロザムンデ」序曲 D.797
シューベルト:”Sch fers Klagelied” D.121、「子守り歌」D.498、「若い尼僧」D.828
グノー:「ファウスト」 よりバレエ音楽
ブルッフ:「コル・ニドライ」op.47 (斎藤)
マスネ:エレジー (佐藤)
ベートーヴェン:Sym.5 ハ短調 op.67
1930年(昭和5年)に近衞が欧州に遊学する壮行会を兼ね、横浜公園音楽堂で「近衞氏渡欧送別演奏会」を開催しています。
この欧州遊学で新しい刺激を得た「おやかた」は新響改組を図ります(下記新聞)が、団員の離反にあい最終的には彼が育てた新交響楽団と決別します。
日本を去り、欧米各地で客演を重ね、ベルリンに本拠地にしてドイツおよびドイツ占領地を中心とする欧州各地でシンフォニーとオペラの両面で活躍します。
第二次世界大戦下もドイツに残留し、ベルリン陥落寸前に脱出を図りますが米軍の捕虜となり半年以上収容所生活を送ります。
そして1945年(昭和20年)に帰国し、
戦後の音楽活動が始まります。戦後も多くの影響と実績を残しつつ1973年(昭和48年)に亡くなります。過度の理想主義だったのか、貴族由縁の悲劇だったのか、彼が育てた交響楽団とは全て訣別の選択をしています。
趣味は有名人の手形と有名観光地のトイレットペーパー収集だったそうです。
校歌も幾つか手がけています。
●法政大学校歌(佐藤春夫作詞/近衛秀麿作曲)
勝手に名曲アルバム 法政大学校歌 ver2.0
http://www.youtube.com/watch?v=hdR14fT6F_A
●立命館大学校歌(明本京静作詞/近衛秀麿作曲)
https://www.youtube.com/watch?v=NiNHkNKfMGM
(余談)
近衛秀麿と一時期決裂した山田耕筰もまた精力的な音楽活動と同時にスキャンダルに巻き込まれた音楽家ですが、彼とこれまた犬猿の仲以上に宿敵だったのが南 能衛(みなみ よしえ)で、『横浜市歌』の作曲者です。
近衛秀麿、山田耕筰はどこかだらしなく、南 能衛はあまりに几帳面過ぎる性格の持ち主だったようです。南 能衛にはもっと作品を残して欲しかったと思います。
【合唱版】横浜市歌をご存じない方は実際にお聴きください。
http://www.youtube.com/watch?v=8gaObvebpXU
No.217 8月4日 (土)わがひのもとの虎列刺との戦い