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No.308 11月3日(土)対米初の特許は横浜花火

TPPで知的財産権のことが議論されていますが、
対米初の特許は「横浜花火」でした。
江戸時代に開花する花火は明治に入り“彩色光剤”が外国から輸入されると江戸の伝統と開化の技術が融合し世界一といわれる日本花火の基礎ができ上がります。
1877年(明治10年)11月3日(土)
太田町の「平山甚太」が“外国人居留民”を意識して横浜公園で花火を300発打ち上げます。
これが横浜の名物となり海外進出にまで発展します。

花火の歴史は古くから伝わっていますが、
現代花火の基礎ができ上がる時期は明治時代です。
特に外国との接点が強かった横浜では「花火需要」が高かったようです。
横浜太田町四丁目で花火師として活躍した平山甚太は、居留地の外国人からも祝日の興業用に注文が殺到します。
平山甚太は、神奈川県権令・野村靖に宛て書簡を送っています。
「横浜居留の英国商人から注文を受けて若干数の煙火を渡したら英国で模倣され、輸出できなくなって困っている」という内容です。
当時なら逆のケースが良くありそうですが、
日本の技術を英国商人が真似するので困ると主張していることには驚きます。

(知的財産権)
平山甚太は英国政府に対し
英国での煙火の専売権利(特許権)申請ができないかどうかと
1877年(明治10年)11月、明治政府に問い合わせています。
同時期に横浜公園(彼我公園)で花火を300発打ち上げた訳ですから、
英国と明治政府へのデモンストレーションだったのではないでしょうか。
当日の様子は

「天長節の祝日に際し、太田町四丁目(旧豊橋藩)平山甚太、横浜公園内に於て大煙火を施行す、当日午後、内外の観客、園の内外に群集す、同三時頃より夜半に至る迄大小三百余を打揚ぐ、昼の煙火中、著しきは双竜上下して玉を争ふが如き、錦鱗の遊泳、白鷺の群飛、大国旗・達摩等にして、其奇巧妙術、観者感賞せざるはなし、夜は其数更に多く、紅雨連星青珠又赤珠を吐くが如き、其光彩絶妙枚挙に遑あらず、内外の観客喝采の声湧くが如く、為めに山壑も拆くる計なり、爾来、平山煙火の名声四方に伝播し、陸続注文あり、因て内田町に煙火製造場を建築し、(後に吉田新田へ移す)盛に之を製造し、海外に販路を開くに至れり」
と「横浜沿革史」に記録されています。

英国領事館からの返事は
煙火(花火)は英国専売法(Statute of Monopolies)でいうところの「新遊戯」の類に属しますが、英国内では「新遊戯」は専売特許の対象にはならないので
特許申請は難しいということでした。
平山は英国への特許申請を断念し、
毎年アメリカ独立記念日にグランドホテル前の会場で
花火打ち上げの注文がある米国への「特許権取得」を目指します。
1881年(明治14年)に平山は米国ニューヨーク・ボストン・フィラデルフィア等の諸都市に職工5人を1年間派遣し技術の吸収と実際に打ち上げ米国マーケットの調査に努めます。1882年(明治15年)に日本国内で専門家に依頼し横浜の米国領事の手を経て米国政府に対し花火の「専売免許」出願します。

以下登録までの経過です。
1883年(明治16年)3月15日 米国で特許が出願されます。
 4月17日 拒絶の理由が通知されます。
 公的申請書の表記場の不備だと思います。
 4月24日 手続の補正を行います
 6月25日 手続補正(宣誓書再提出)
 6月29日 特許査定通知
 7月19日 登録料納付
 8月7日 に特許が正式に登録されます。

特許内容は
■取得者は花火師・平山甚太(1840年〜1900年)。
■特許取得当時は横浜太田町(現在の横浜市中区太田町)在住。
■特許日は1883年(明治16年)8月7日。
■特許の対象となった発明の名前は「昼花火(Daylight Fireworks)」
■「昼花火」:花火玉の外皮の中に火薬の他に軽くて柔らかい素材で作った人形や鳥形などを詰めておき、打ち上げた際に外皮が割れて中から人形などが飛び出して、フワリフワリと空中を漂う花火。
この証明書の写しが、
2010年の横浜で開催されたAPECの時にオバマ大統領が管首相にプレゼントしました。

特許となった「昼花火」とは字の如く昼間の花火のことで、打上った花火から空に浮かぶ人形や金魚、風船、国旗などが舞って落下してくる様が特許となったのポイントだそうです。


http://www.city.yokohama.lg.jp/kyoiku/library/central/hirayama.html

日米桜寄贈100周年事業の「昼花火」
2012年3月25日(日)
日本政府により西ポトマック公園で
日米桜寄贈100周年事業イベントの一環として全米桜祭り開会式に先立ち、
「日米桜寄贈100周年事業」における日本文化発信事業の一環として
1883年に平山甚太が日本人で初めて米国での特許を取得した「昼花火」の復刻版花火が約7分間にわたり打ち上げられ約150人の招待客の喝采を受けます。
花火文化も日米交流の架け橋になっていたのです。

平山甚太との意外な関係

No.419 落胆の身を江湖にさらす

(11月3日は良いネタばかり)
●1880年(明治13年)
「君ケ代」の曲譜が制定された日です。
※国歌「君が代」発祥の地は幾つかありますが横浜が有力ですね。

●1976年(昭和51年)
馬車道通りが完成し記念の「馬車道まつり」が開催されました。
商店街のストリートデザインの草分けです。この馬車道モール化から、伊勢佐木、元町へと商店街の空間デザインが実現していきます。

●1983年(昭和58年)
三菱重工横浜造船所跡地が「みなとみらい21」と命名されフェスティバルが開催されました。

●1986年(昭和61年)
戸塚区が分区し栄区と泉区、そして新戸塚区が誕生しました。

栄区マーク
泉区マーク

●1993年(平成5年)
エコライフチケット制度が開始します。(当初毎週水曜日使用)
現在はファミリー環境1日乗車券に
大気汚染の防止を考え、マイカーにかわり市営バスをご利用いただけるよう、同居のご家族5人までご乗車になれる市営バス1日乗車券です。
発売額 1,000円
土・日・祝日、8月12日〜8月16日、12月25日〜1月7日
http://www.city.yokohama.lg.jp/koutuu/kyoutuu/ichinichi.html#sub1

●1998年(平成10年)
日本一になった横浜ベイスターズの優勝パレードが行われ、交通局提供のオープンバスが人気となりました。

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