今、東海道本線戸塚駅西口再開発が終盤を迎えています。
戸塚駅は東海道の宿場町にできた駅で、市内2番目の乗降客数を誇る横浜市内中核都市の一つで。
しかし、駅前の不便さは長らく市内最悪の状態でした。
1986年(昭和61年)11月1日の今日、
再開発ビル「ラピス戸塚」が完成オープンしたのを皮切りに
戸塚駅東西再開発が本格的に始動します。
東口にラピスが完成した頃の戸塚駅周辺 |
戸塚駅前はとにかく不便でした。日立村と呼ばれるほど、数多くの日立関連工場がある中、駅前は地権者の合意形成ができませんでした。(今日は東口の話しなのでこの辺の話しは控えめに)
駅横を二級河川境川支流「柏尾川」が流れ、江戸時代から栄えた宿場町があったことも起因してか、駅前の整備にはかなりの時間を必要とします。
都市計画上の戸塚駅再開発事業が計画されたのは昭和30年代です。再開発着工に半世紀以上の時間がかかりました。現在国道1号線の地下化(「開かずの踏切」解消)等が進み全ての計画完了には更に時間を必要とします。
(戸塚競馬に行こう)
東海道本線戸塚駅は開設された当初、宿場側の西口しかありませんでした。戸塚駅の開業は1887年(明治20年)7月11日、東京と国府津が開業した時にできた駅です。その後、1937年(昭和12年)に東口ができますがキッカケは「戸塚競馬場」を利用する客が急増したためです。
戸塚競馬場は1933年(昭和8年)吉田町の水田を埋め立てて開場します。
現在の日立横浜工場がある場所で、一周1,600mだったそうです。競馬場に因んだ「駒立橋」のみが当時の痕跡として残っています。
年に二回、3月と9月の4日間しか開催されませんでしたが、
大踏切を渡るための人で埋め尽くされたため地元の要求で「東口」ができます。
「戸塚競馬場」は戦争中に軍用馬訓練場となり
1942年(昭和17年)に西口側の駅から離れた汲沢に移転します。
現在は汲沢団地横の戸塚高校となっていますが若干その名残(痕跡)が地図上からも確認できます。
昭和の競馬場があった頃 |
現在 |
1949年(昭和24年)川崎に新しく競馬場が作られるのを機に、
1950年(昭和25年)戸塚競馬は閉幕します。
吉田町にある駒立橋の地名は、戸塚競馬場に因んだ名です。
戸塚駅前を大きく変えるキッカケは、
1987年(昭和62年)に横浜市営地下鉄1号線(ブルーライン)が開通するにあたり、東口再開発計画が一気に進んだ事です。
駅前広場とバスターミナルが整備され、
1986年(昭和61年)11月1日にラピス戸塚が開店し戸塚の動線が変わります。
ただ、開通した市営地下鉄は、仮開業の状態でホームが短く後部2両の扉を閉鎖したまま停車する状態でした。
YES89会期中の1989年(平成元年)8月27日、ホームが完成します。
翌年の1990年(平成2年)3月に一応の東口地区第一種市街地再開発事業は完了します。
さあ、次は西口か?
1994年(平成6年)に戸塚駅西口第1地区第二種市街地再開発事業都市計画が決定しますが、変更に次ぐ変更が続き事業着手は2007年(平成19年)、1962年から半世紀、都市計画事業決定から15年かかりました。
現在、西口開発の影響で東口は厳しい状況になっていますが、
東口のポテンシャルはまだまだあるので、今後の整備計画がスムーズに行く事を祈っています。