冒頭にまず「港の見える丘公園」開園についてコメントしておきます。
私は「No.129 5月8日 ヒット曲の公園」で
「港の見える丘公園」開園について紹介しました。
「港の見える丘公園は1962年(昭和37年)の今日5月8日開園しました。」
と幾つかのデータを元に紹介しましたが?
友人から新聞に
今年10月25日が「港の見える丘公園」開園50周年だとして
特集を組んでいると新聞データが届きました。
該当ブログは
■No.129 5月8日 ヒット曲の公園
です。
参考にした資料も幾つか紹介しておきます。
■当時の市政ニュース(5月10日付け)
http://www.city.yokohama.lg.jp/seisaku/kichitaisaku/shiryo/taiikukan.wvx
その他の資料(5月8日に注目!)
横浜市総務局HP 市史索引から |
商工会議所百年史 |
以上です。
では、何故10月25日になったのでしょうか?伝聞は確認していますが、裏がとれていないのでここでは 5月根拠のみ提示しておきます。この場所がかつて英国と仏国の重要な場所であったことはいうまでもありません。
今日は10月25日
ミニネタ、オムニバスです。
【シーン1】横浜生まれは今も健在
1938年(昭和13年)10月25日に創流以来横浜に拠点を構えている日本舞踊の七扇流3代目七扇花助(長尾しん)が69歳で亡くなります。
七扇流は江戸時代後期、日舞界屈指の「西川流」西川扇藏四世の門弟 西川国助が横浜で母であり狂言師だった“市山さと”と共に創流します。
母さとが流祖七扇小橘(ななおうぎ こきつ)と名乗り、国助が初代家元七扇小橘を名乗ります。
二代目七扇小橘は藤間流に学び、一代の名声を築きます。
三代目は門弟の七扇花助(ななおうぎ はなすけ)が継ぎ、当代は花助の甥にあたる七々扇花端王(ななおうぎ かずお)が四代目として一門を支え横浜を拠点に東京は勿論全国の舞台に立っています。
1965年(昭和40年)に七扇を「七々扇(ななおうぎ)流」と改め現在にいたりますが、この七扇の名は、狂言師だった“市山さと”の贔屓筋だった勝海舟が「7つの海につながる」横浜を紹介し、流派の名もその7を頂戴し命名したものだと伝わっています。
http://www.nanaougi.com/profile.html
七々扇花瑞王
〒232-0027 横浜市南区新川町4丁目25
tel&fax:045-251-5955
(もう少し調べたいところなので本日はこれまで)
【シーン2】経済復興のシンボル
1930年(昭和5年)10月25日(土)
横浜商工会議所は市と家内工業振興会共同で「横浜製品普及展覧会」を開催しました(11月3日まで)。
場所は横浜商工奨励館(現在の横浜情報文化センター)
横浜商工奨励館は、震災によって被災した横浜経済界にとって復興の精神的なメモリアルだったといいます。
1929年(昭和4年)の4月に新築落成しました。
横浜商業会議所(現・横浜商工会議所)の「商品陳列所」として元アメリカ領事館の敷地に建てられました。設計は横浜市建築課で震災復興期に市建築課が手がけた作品群のひとつです。
ここには隣接して「旧横浜市外電話局」がありました。この二つの歴史的建造物を取り込む形で2000年に横浜情報文化センターが完成しました。
(横浜情報文化センター)
http://www.idec.or.jp/shisetsu/jouhou/
(アルテリーベ歴史写真館)
http://www.alteliebe.co.jp/ipn/concept/building.html