No.266 9月22日 (土)ハマの赤レンガ

1888年(明治21年)9月22日(土)の今日、
横浜区相生町68番地に横浜煉化製造会社が創業しました。
横浜のイメージワードの一つに“赤レンガ”があります。
震災や戦災で多くのレンガ仕立ての建物は失われましたが、横浜にレンガは欠かせません。
今日はレンガ製造を巡る話しをまとめてみました。

横浜でレンガ製造といえば、実業家として活躍したジェラールが1873年(明治6年)に山手で始めたことが有名です。

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その後、近代建築に欠かさせない素材としてレンガ需要が高まります。また新技術も海外から導入され、日本各地に量産工場が作られました。横浜煉化製造会社もその一つです。
横浜煉化製造会社の創業した1888年(明治21年)前後に日本煉瓦製造会社、竹村煉瓦製造工場、東輝煉化石製所、関西煉瓦会社、下野煉化製造会社、大阪窯業、金町製瓦会社など次々とレンガ工場が設立されます。
現在公開中の東京駅もまさにこの時代のレンガ建築の傑作です。
http://www.tokyostationcity.com
(ホフマン窯)
横浜煉化製造会社、日本煉瓦製造会社(埼玉県)と下野煉化製造会社(栃木県)の三社は当時大量生産型の代表工場でした。いずれも近代的なホフマン窯で、横浜の近代建築の重要な素材供給源となりました。
ホフマン窯とは、ドイツ人技師ホフマン(Friedrich Hoffman)が考案し、19世紀後半のレンガ製造の主流となった量産型工場です。それまで、煉瓦を入れて焼きあがると、“火を消し”熱が下がってから煉瓦を取り出す工程でした。ホフマン窯は、窯を環状(円形、楕円形等)に配置し、煉瓦を連続製造することが可能になりました。

シモレン下野煉化会社(現在修復中)
修復中の工場(野木)

(遺構)
現在全国に5つの遺構が残っています。
●栃木県下都賀郡野木町
  旧下野煉化製造会社(シモレン) 重要文化財


●埼玉県深谷市

  旧日本煉瓦製造 重要文化財
○滋賀県近江八幡市
  旧中川煉瓦製造所 登録有形文化財
○京都府舞鶴市
  旧神崎煉瓦 登録有形文化財
○岡山県笠岡市
  旧西山煉瓦製造所

横浜煉化製造会社は、残念ながら工場経営は十年で経営が行き詰まり解散します。煉瓦工場は、橘樹郡(現在の川崎市)にありました。社長となった田中平八は「天下の糸平」といわれた相場師“田中平八”※ではなく二代目です。
※富貴楼のお倉の支援者

当初「横浜煉化製造会社」として出発しますが、経営者が代わり川崎の工場に本社機能を移し「御幸煉瓦製造所」となりレンガ製造は継続します。ここで製造された煉瓦は、明治中期〜大正期の横浜で多くの建物に使用されていたことがわかっています。
その手がかりとなるのが、「煉瓦の刻印」です。
http://www.maizuru.net/kokuin.htm
レンガの歴史的建造物を見学する時、「煉瓦の刻印」を探すのも面白いでしょう。


(横浜の代表的煉瓦造建築)

■赤レンガ倉庫(新港埠頭保税倉庫)
http://www.yokohama-akarenga.jp/index.html
 横浜正金銀行(現、神奈川県立歴史博物館)をてがけた妻木頼黄※の設計で、150年の歴史を持っています。関東大震災を生き延びた煉瓦壁のなかに鉄材を埋め込む「碇聯鉄[ていれんてつ]構法」と呼ばれる耐震技術を積極的に導入した点で評価が高い建造物です。
全長約150メートル、背面に鉄骨造ベランダを持ち、日本初のエレベーターや避雷針、消火栓を備えていました。
愛称「ハマの赤レンガ」

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■開港記念会館

http://www.city.yokohama.lg.jp/naka/kaikou/
設計原案ならびに基本構造設計:福田重義・山田七五郎
建築当初の建築様式:辰野式フリークラシック
時計塔の高さ:36m
愛称「ジャックの塔」

■北仲ブリック(旧横浜生糸検査所倉庫事務所)

遠藤於菟の設計により大正15年に横浜生糸検査所の倉庫事務所として建てられました。
日本で最初の鉄筋コンクリート建築である三井物産横浜支店を設計した遠藤於菟の晩年の大作です。

(煉瓦用語)
煉瓦造建築を愉しむには用語や積み方を知っていると一層面白くなります。
煉瓦形状の名称

煉瓦の各部名称

積み方

イギリス積
フランス積

第858話 横浜から下野へ<煉瓦街道をゆく>野木編

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