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No.213 7月31日 (火)金日本、銀日本

1895年(明治28年)7月31日(水)の今日、
京都岡崎公園で終了した第4回内国勧業博覧会で
横浜の梶野仁之助が自転車製造で有功賞を受賞しました。


今日は自転車をテーマにしました。
最近自転車ブームですが、私たちが乗る自転車の構造デザイン、百年前にはほぼ完成していました。
すばらしいことです。ちょうど日本の幕末明治の頃が自転車構造の転換期にあたります。

幕末明治の頃、初期自転車デザインは実用的ではありませんでした。実用性のある三輪自転車がごく一部で使用されていましたが、構造が複雑で高価だったため普及しません。
今日のような実用的な交通手段に生まれ変わるのが20世紀の時代に入る頃でした。


当時、最先端技術情報が集まった「横浜」でいち早く自転車に関心を持ち
英米の最先端自転車の輸入ビジネスを始めた“先駆者達”がいました。

1894年(明治27年)創業の貿易商石川 賢治、石川商会(後の丸石自転車→現在丸石サイクル)を弁天通に創業。
(後に尾上町移転)

1896年(明治29年)創業の根津商店 根津 酒造蔵(相生町)
1903年(明治36年)石川商会から独立し相生町で英国製自転車の輸入を始めた 金輪社の松浦 精一郎(後に尾上町移転)
ゴムタイヤの米国製自転車をいち早く輸入し成功した喬盛館の高木壽次(真砂町)
彼らは、輸入商として画期的な移動手段となった「自転車」を輸入した先見性のあった人物です。


一方、自ら「自転車」を造ろうと試みた日本人も全国に多数いました。
その中で、日本最初の自転車企業を創設したのが梶野 甚之助です。


日本の自転車史には必ず登場する梶野は神奈川県津久井の出身で、横浜に来て時計商を営む中で機械に魅了されていきます。ごく一部の遊興用に輸入された自転車を見て、自作を試みます。1879年(明治12年)には蓬萊町に自転車工場をオープン、その後本格的な工場を高島町5丁目に開設します。
梶野の国産自転車は、その後国内で評判になります。

国内工業技術の発表の場となった「内国勧業博覧会」に第三回から最後の五回まで出品し、第四回では有功賞を受賞します。
1891年(明治24年)には初の海外、中国に輸出します。
1897年(明治30年)に大日本自転車製造株式会社を設立、日本最初の自転車製造企業が誕生します。
最盛期の明治40年頃には職人40名で梶野ブランド「金日本号」「銀日本号」を販売し海外にも支店を持つまでに発展しました。
その後、宮田工業(本社茅ヶ崎)を含め現在の日本を代表する自転車メーカーが誕生します。(自転車部門は㈱ミヤタサイクルに)

(余談)
日本で自転車製造に着手した人物は福島県の鈴木三元という人物で、1876年(明治9年)一人乗り三輪車「大河」を開発しました。横浜の石川商会は1910年(明治43年)英国製自転車トライアンフの不正コピー警告の広告を掲載したことで話題になったそうです。

No.179 6月27日(水)電気が夢を運んだ時代?

<20140730加筆修正>

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