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No.172 6月20日(水) 階級差なく埋葬

保土ケ谷区狩場町にある「英連邦横浜戦死者墓地」をご存知ですか?
横浜にある外国人墓地の一つです。
今日は「英連邦横浜戦死者墓地」のエピソードをご紹介します。

英連邦横浜戦死者墓地

(プロローグ)
1998年(平成10年)1月15日(木)
来日中のトニー・ブレア英国首相は、16センチの積雪で首都圏の交通が麻痺状態の中、万難を排して保土ケ谷区権太坂「英連邦横浜戦死者墓地」を訪れます。

(当時私は保土ケ谷に住んでいたので雪の中、
 異様な交通規制を印象深く記憶しています)
英国の要人は全て来日の際ここを訪れます。
1975年(昭和50年)に来日したエリザベス女王、
そして1991年(平成3年)来日したダイアナ妃もここを訪れ慰霊に祈りを捧げました。

(英連邦法)
この「英連邦横浜戦死者墓地」は終戦直後の
1946年(昭和21年)6月20日(木)の今日
日本軍が使用していた児童遊園地を連合軍が接収した日です。
ここは約8ヘクタールの広大な敷地で、英国がいち早く戦死者墓地候補に決定し、政府間交渉に入ります。
米国とは異なり、この広大な空間を、“英連邦戦死者の埋葬場所”の候補地とした理由は、英連邦独特のルールがありました。
「戦死者の遺体は本国に送還せず、階級差なく現地で埋葬するという原則」(1917年制定)に従ったものでした。
「英連邦横浜戦死者墓地」は日本政府から譲り受け、英国政府が管理し現在1,853の慰霊が葬られています。

※英連邦墓地は世界に2,500カ所余り、小規模を含めれば21,000カ所あるといわれているなか、世界最大級の規模です。

(静寂と鎮魂の別世界)
ここに埋葬されている戦没者の大半は、第二次世界大戦中に日本の捕虜となり、没した人たちです。
出身国別にイギリス区、オーストラリア区、カナダ・ニュージーランド区、インド・パキスタン区、戦後区の5区に分けて埋葬されています。

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ここは“観光地”ではありませんが、横浜の歴史を知る大切な空間である事は間違いありません。
一度は訪問しておく価値のあるところです。
一般開放されていますが、あくまで墓地ですのでご注意下さい。

■英連邦横浜戦死者墓地(参観無料)
参観時間:AM8:00〜PM5:00
住所:保土ヶ谷区狩場町238
アクセス:JR保土ヶ谷駅からバスで20分、「児童遊園地前」下車。

アクセスマップ

(余談)
1998年に来日したトニー・ブレア英国首相は「第三の道」を新しい政治体制の方向と位置づけ絶大な支持を得て労働党を安定政権に導きます。

一読の価値あり

当時野党民主党の代表だった「菅直人」との会談で
菅直人が 「政権奪取の秘訣は何か」と尋ねます。
ブレア首相は
「その前に、我が労働党は政権を取るまでに18年もかかったことを申し上げたい」
「政策の出発点に文化のよりどころがなければ、一時的に新しいもの好きの支持を得ても、根を下ろす力にはなりません」
民主党の議員諸君「第三の選択」読み直したほうが良いかもしれません。

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