No.165 6月13日(水) 修文練武

横浜学院(後の神奈川大学)初代校長だった林 頼三郎は、
1935年(昭和10年)6月13日(木)の今日、
第18代大審院長(現在の最高裁判所長官)に就任します。

現在の最高裁
(林 頼三郎の適当な肖像が見当たりませんでした)

大審院は戦後の三権分立制度に比べて独立性の弱い最高裁ではありましたが、全国の裁判所の頂点に立つことは法曹界の重要な位置にありました。
戦前大審院長は初代から第22代まで19人が就任しました。明治期の司法黎明期から大正の確立期に入るころから大審院長は帝国大学の寡占状態が常体化していました。
13代「富谷 鉎太郎」から昭和19年に就任した22代「霜山 精一」まで。11人の大審院長の中で唯一私学でかつ弁護士(現場)から法曹界のトップとなった人物が林 頼三郎でした。
東京法学院(現中央大学)で学んだ林の10年後輩、米田 吉盛が1928年(昭和 3年)に横浜桜木町で横浜学院(後の神奈川大学)創立するときに恩師でもあり法曹界の現場で活躍する彼、林 頼三郎を初代校長として迎えました。
【神奈川大学】
http://www.kanagawa-u.ac.jp/

『神奈川大学五十年小史』によれば、「先生の高潔なる人格と胎蕩たる徳望と官界における名声とは私が本学を経営するために無言の力となり対社会的信用をかち得たことは疑なきところで先生のお蔭によって本学が今日あるを致したと思うのである。感謝に堪えない」と創設者 米田 吉盛は初代校長 林 頼三郎を偲んでいます。
「修文練武」は初代校長 林 頼三郎が好んで示した言葉です。

林 頼三郎関連資料は【神奈川大学図書館】
http://www.kanagawa-u.ac.jp/library/organize/exhibition/2011/09/003535/

(JINDAI)
横浜市神奈川区六角橋に本部がある神奈川大学は、横浜市中区桜木町に開設された横浜学院を母体として戦後新学制により「神奈川大学」と命名されました。どうやら最初は「横浜大学」を狙っていたようです。

Wikiによれば
「横浜専門学校と官立の新制大学(前身は横浜経済専門学校・横浜工業専門学校・神奈川師範学校・神奈川青年師範学校)と横浜市立の新制大学(前身は横浜市立経済専門学校)がともに「横浜大学」を名称として申請したため、3校において協議を行うこととなった。その結果、各校が譲歩し「横浜大学」の名を使用しないことを決定した。その際、官立の新制大学は「横浜国立大学」、横浜市立の新制大学は「横浜市立大学」とすることとなり、横浜専門学校は「神奈川大学」を名乗ることとなった。」
とあります。横浜大学だったら「HAMADAI」「HINDAI」っていったかどうか。


神奈川大学「じんだい」はさすが法律学校が前身だけあって、略称「じんだい」を登録商標(日本第4372633号および第4404030号)として登録しています。関西では神戸大学が地元では「じんだい」と呼ばれていますが、公式には神奈川大学の略称だそうです。

■六角橋は「神大の街」です。
大学の近くには必ず学園の街が存在します。1930年に東急東横線「白楽」に移転した神奈川大学にとって、通学路「六角橋商店街」は学園の街として歴史を刻んできました。現在、「六角橋商店街」のまちづくりにも積極的に関わっています。

ちょっと前なので今は?

No.60 2月29日 消え行く街の個性

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tadkawakita
  • tadkawakita
  • 横浜の歴史にざくっと関心をもって15年です。本腰をいれて学び始めて5年となりますが、学べば学ぶほどに深くなっていきます。
    Y2345というキーワードを作りました。1923年〜1945年までの横浜を軸に「横浜史」を乱学しています。
    史実に出会ったら、できるだけ現在の地を訪れるよう努力しています。

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