No.160 6月8日(金) 親王殿下のニッポン

今日は日希関係です。
むりやり関係ネタを探している訳ではありません。

たまたまです。(でもちょっとうれしい)
かつて世界各国の要人が来日した横浜港。
まさに国際港ですね。
船の入港で世界情勢の変化もいち早く分かることができたので新聞社も横浜港に通信員を配置していました。
1891年(明治24年)6月8日(月)「午前十時五十分「希臘」のジョージ親王殿下横浜港へご入港」しました。と配信します。(当時の毎日新聞)

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ギリシャ王国旗

「ジョージ親王殿下」
この時代の国名、人名には苦労します。読みと表記にはバラツキがあります。

「希臘」とはギリシャの漢字表記です。
この「ジョージ親王殿下」とはゲオルギオス・ティス・エラザス
当時のギリシア王国ゲオルギオス1世と王妃オルガの次男(一説に三男 詳細調査してません)を指します。

ゲオルギオスはギリシア語発音で、新聞では英語表記で<ジョージ>となっていますが、ここでは以下ギリシア読みに従いゲオルギオス親王殿下と表記します。

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この記事の内容は、
5月11日に滋賀県大津で起った外交的大事件「大津事件」(※下欄 大津事件参照)で負傷したロシア帝国皇太子と共にウラジオストクに同行していたギリシアのゲオルギオス王子がロシア軍艦で帰路につく際、乗り継ぎのため「横濱」に寄港したという内容です。

昨日取り上げた「土耳古国」とは扱いがかなり違います。

No.159 6月7日(木) 強い日土友好の原点

理由は、この大津事件が日本にとって”国の命運をかけた”重大な事件だったからです。
※大津事件
日本を訪問中のロシア帝国皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)が、滋賀県滋賀郡大津町(現・大津市)で警備にあたっていた警察官・津田三蔵が皇太子を突然斬りつけ負傷させたという、暗殺未遂事件のことです。大国ロシアの要人を官憲が殺傷しようとする由々しき事態。
国を揺るがした事件であると同時に、
犯人津田三蔵をどう裁くのか?

日本の司法史に必ず登場する事例です。
ここでは「大津事件」は取り扱いませんが、
この事件の対処のため、明治天皇が急遽京都に向かいますが、天皇は見舞いをロシア側から一日待たされるという事態からも事件の重大さと国力の違いが分かります。

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この時代、ギリシャは、ヨーロッパの小国で、しかも長い間オスマン帝国支配下にあり独立してまもない国でした。
当時、ギリシャはオスマン帝国と比べたら、吹き飛ぶような国力でしたが、それでもこの国の「王子ゲオルギオス親王”殿下“」が特別扱いされたのは、ギリシャ王国が持つ歴史にあります。
このエリアは現在も欧州の原点であると同時に民族紛争の絶えないエリアです。

最大の理由は宗教的背景です。
ギリシア=ギリシア正教とロシア=ロシア正教は特に同じ流れを持った“キリスト教 正教会”系だからです。

バルカン半島が19世紀から”世界の火薬庫”と呼ばれたほど、紛争の絶えない小国家が列強の宗教や民族関係を背景に支援の下でバランスをとっているゾーンでもありました。(現在もいまだ緊張感は継続しています)
当時
ギリシャ王室は、「ティス・エラザス・ケ・ザニアス」と呼ばれ、欧州王族の一員でした。ギリシャ王国が1832年に建国されて以来、列強各国と姻戚関係になることで国の威信を保ってきたのです。
王子ゲオルギオス親王もロシア帝国皇太子・ニコライの従兄弟にあたります。

当時のギリシャは、宿敵国オスマン帝国に対峙するため、ロシアの国力に頼らざるを得なかったのです。
一方1891年(明治24年)の頃の日本は、
列強の一つ「大露西亜帝国」の前に、まさに「坂道を登り始めたばかりの国」でした。

司馬遼太郎「坂の上の雲」の主軸となる日露戦争1904年(明治37年)2月8日〜1905年(明治38年)9月5日)への道は、まさにこの時に始まっていたといえるでしょう。
明治元年生まれの24歳の青年王子の悲劇と40歳になろうとする明治天皇の屈辱がこの“戦争”になんら関係が無かったとはいえないと思います。

6月8日午前10時50分、横浜港に着いた「ゲオルギオス親王殿下」は上陸後露西亜領事館に向かい、横浜港近辺は厳戒態勢がとられます。
殿下は翌日の9日午前10時に出港する太平洋郵船会社のゲーリック号でギリシャに帰国する予定でしたので8日の夜、
日本政府はグランドホテルで歓迎レセプションを企画します。

ところが、日本の申し出に対しゲオルギオスは無視し、
ロシアと関係の深い”フランス”
の招きに応じます。
フランス外交はしたたかですね。
一方日本政府側は むかついたでしょうね。

この事件のあった初期の日希関係はぎくしゃくしたスタートでしたが、戦後は港を舞台に親しい交流が続いています。
戦後のギリシャは「海運国」として活躍し

横浜は上陸したギリシャ人が集う「ギリシャ料理」の名店が多く誕生します。
「オリンピア」「スパルタ」「アテネ」「パルテノン(閉店)」「サロニコス(閉店)」等です。ギリシャ料理店の多さは港町横浜の特徴といえるでしょう。

●オリンピア
https://www.olympiayokohama.com
横浜市中区太田町2丁目30

ギリシャ料理 スパルタ:SPARTA
www.sparta.jp/
横浜市中区吉田町3−7

ギリシャ料理&バー アテネ/ATHENS
横浜市中区山下町217-4

パルテノン
横浜市中区本郷町1丁目1

Greece
現在のギリシア国旗
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tadkawakita
  • tadkawakita
  • 横浜の歴史にざくっと関心をもって15年です。本腰をいれて学び始めて5年となりますが、学べば学ぶほどに深くなっていきます。
    Y2345というキーワードを作りました。1923年〜1945年までの横浜を軸に「横浜史」を乱学しています。
    史実に出会ったら、できるだけ現在の地を訪れるよう努力しています。

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