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No.133 5月12日 餌の勝ち!(加筆修正)

喰う者と喰われるもの。
自然界の食物連鎖が崩れると、生態系が壊れてしまいます。
とはいえ生態系の重要性が認識された歴史はごくごく最近のことです。
1927年(昭和2年)の今日、アメリカザリガニが
“餌として”
横浜に初上陸しました。

Wikipediaより引用

1927年(昭和2年)5月12日横浜に入港した大洋丸に
今では“侵略的要注意外来種”アメリカザリガニが“ビール用の樽”に詰められて運ばれてきました。
生存率は一割程度でしたが、活きていたアメリカザリガニは早速、鎌倉市岩瀬に作られた「鎌倉養殖場」に運ばれました。
子供の頃、近くの川で良く見かけたアメリカザリガニは、戦前真剣に導入が検討されていた「食用蛙」の“”でした。
蛙の餌にザリガニ?
一瞬逆じゃない、と思いましたが北アメリカ産巨大種の食用蛙(Rana catesbeiana)は、ザリガニを襲う!!

Wikipediaより
ゲロゲロ?

大船駅にほど近い岩瀬にあった「鎌倉養殖場」の話しは、地元と水産関係者の中では有名な話しだそうです。現在は児童公園(「岩瀬下関防災公園」として整備中)になっています。
※ということで 内容確認のため現地に行ってきました。(雨でした)

※以前は アメリカザリガニに関して記述したパネルがあったそうですが現在は見当たりませんでした。どうもアメリカザリガニが「要注意外来種」ということで、記念碑の扱いには異論もでたようです。

この公園に関しては、いろいろ突っ込んでみたいネタがありますが、“鎌倉市”なので控えておきます。
例えば 「いわせ下関こども広場」? 「いわせ下関青少年広場」?

輸出用に養殖された蛙ビジネスは鎌倉から全国に広がりましたが1970年代までに殆ど閉鎖されてしまいました。
現在では食用・実験用として年間数千匹輸入されているとのことです。
逆に、
この養殖場からアメリカザリガニは脱走し、戦後本州ではどこでも見られるようになったまさに外来種です。
ちなみにこのウシガエルも要注意外来種の一つとなっています。
かつて、日本は意図的に食用として幾つかの動物を輸入しました。
当時は生物多様性の重要性など誰も考えなかった時代でした。
■オオクチバス
1925年に食料化を目指して芦ノ湖に試験放流されたものが全国に拡散しました。
 これは人為的に拡散された経緯もあり全国で川・湖の生態系破壊が危惧されています。
■ニジマス
食用として1877年にカリフォルニア州から輸入した歴史ある外来種です。在来種のイワナ・オショロコマ・ヒメマスなど陸封サケ類を駆逐しつつあり北海道では憂慮すべき外来種となっています。
■ウチダザリガニ
こちらは完全に食用として1926年より輸入。アメリカザリガニ以上に獰猛のため魚類の食害が問題になっています。
■チャネルキャットフィッシュ
規制対象の特定外来生物に指定されている北米原産のナマズの一種で1971年に食用目的で国内に持ち込まれました。

(検疫の本店は横浜)
上記のような外来種を取り締まるのが検疫所です。
管轄は農水省です。
動物と植物はそれぞれ分かれていて、動植物検疫の歴史は1904年(明治34年)にまで遡ります。管轄は内務省、大蔵省から海運局へと、幾多の変遷を重ね農水省に落ち着きました。
http://www.maff.go.jp/aqs
動物検疫所は横浜に本所(本部)があり全国の支所を統括しています。
〒235-0008 神奈川県横浜市磯子区原町 11-1

植物検疫は、1952年に動物検疫所と分離して独立しました。
http://www.maff.go.jp/pps
〒231-0003 神奈川県横浜市中区北仲通5-57

ともに管轄本部は 横浜にあります。
官庁の所管変遷のエピソードといえば
4月17日 活きる鉄の永い物語

(余談+資料)
アメリカザリガニを運んできた
日本郵船の大洋丸TAIYO MARU (1911竣工)は
第1次世界大戦の賠償として日本政府が取得した旧ドイツ貨客船です。light_大洋丸 light_大洋丸ウィンターガーデン 1920年(大正9年)7月日本に来ました。東洋汽船(東京)が横浜/桑港線に就航し、1926年に日本郵船の船籍になります。その後東亞海運に定期用船として売却され、1942年長崎県男女群島女島灯台付近で米潜の雷撃で沈没しました。

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