No.126 5月5日 私がこどもの国を選んだ訳

今日はこどもの日です。
1965年(昭和40年)の今日、横浜市青葉区奈良町にある「こどもの国」が開園しました。
広さ約100万平方m(約3万坪)の日本最大級の児童厚生施設です。


東日本大震災に遡ること16年前、阪神淡路大震災が1995年に起りました。
この大震災の翌年、1996年(平成8年)8月24日(土)から8月25日(日)の二日間、こどもの国の一部を使って有料ワークショップ型防災訓練をボランティア主催で開催しました。

(詳細は8月24日、25日に紹介します)

No.237 8月24日(金) 防災は体で覚える!
阪神淡路の経験を通して、現実に近い防災訓練の必要性を実感しました。

そこで現実に近い被災環境で様々な防災ワークショップを体験するファミリーキャンプを参加費を設定して実施しようと企画しました。
横浜市を初め、防災関係者にはことごこく失笑されました。
無料でも来ない防災訓練なのに5,000円(1家族)も払って防災訓練に参加する訳が無い!という認識でした。
参加費用は、1家族5,000円、車で来た場合駐車料金別途。可能なら自宅または最寄り駅から徒歩で会場に入って欲しいと条件を付けました。

 
 
 
 


(参加者数)
参加者 163組 630名
団体での参加 40名
ボランティアスタッフ 106名
事務局31な
応援支援者  46名


こどもの国は「社会福祉法人こどもの国協会」が運営する施設ですが、皇太子(今上天皇)の成婚を記念して整備されたものです。
http://www.kodomonokuni.org/index.html
なぜこの施設を選んだのか?
それは暗闇と安全が必要だったからでした。
宿泊型の防災訓練は1995年以降実施されるようになりましたが、1,000人規模の宿泊を伴う防災訓練は実施されていませんでした。
最大理由は「安全」でした。防災訓練ですから想定された危険体験は必要ですが、想定外の事故に備えられなければ実施できません。
横浜市にこの『企画』を提案した時、当時の災害対策室関係者全員、この企画では「安全」が確保できない。一致した意見でした。
さらに企画には重要な条件を付けました。
「できる限り被災時に近い条件であること」
真っ暗闇が必要だったのです。さらに実現は難しくなりました。
当初、みなとみらい、学校を想定しましたが条件が揃いません。
1995年10月に提案した企画も四ヶ月が過ぎた2月下旬、消極的だったと思った市から連絡が入りました。
災害対策室の杉本課長(最初から最後までお世話になりました)から電話があり、
「もしかしたら防災キャンプに適した会場が確保できるかもしれません。すぐに見に行きましょう。」
そこが「こどもの国」でした。役所特有のたなざらしになっていたのか?と思っていた交渉に、しっかり調査を継続してくれていたのです。
下見会場は「こどもの国」内総合グランドと呼ばれるサッカーコート1面と陸上競技用トラックがある場所でした。

園内のかなり奥に位置し、隣接のテニスコートが利用される程度の(さみしい)空間でした。
約3万坪の緑地に囲まれ、しかも三方が丘になっている。
こどもの国の方も、「夜は真っ暗です。保証します。」
スタッフ本部用のロッジもある。自家用車での参加者も一般入園者と区別できる臨時駐車場が近くにある。
企画書のベスト条件をほとんど満たすものでした。(安全に)親子で「不便さを味わう」「野宿体験をする」体験を通して、親子で防災を語り合う場<仮想コミュニティ>を作るにはうってつけでした。


TBSとTBS災害ボランティアの全面協力を受け、ミニFMの臨時放送局も設置し「仮想災害情報」を流しました。

横浜にこのような自然空間があることを感謝しました。
終了後のアイスクリームの美味しかったこと!!!!
(記録Vがあるのでネットにアップしたいと思っています。少し編集が必要なのでペンディングになっています)
http://www.kodomonokuni-bokujyo.co.jp/

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