No.113 4月22日 甘辛両党おまかせ!

横浜生まれで現在本社が移転した全国ブランドといえば?
洋菓子の不二家、ドイツ菓子のユーハイム、ジャムの明治屋。
なぜか甘党ばかり?!他にもありますが、
今日は食品商社として横浜に創業した株式会社明治屋の物語を紹介しましょう。
「明治屋」が株式会社となったのが1911年(明治44年)の今日、4月22日です。


明治屋の紙袋には「MEIDI-YA 1885年 YOKOHAMA 」とあります。商売を始めたのが1885年、会社組織になったのが1911年(明治44年)の今日です。
最初から脇道にソレますが明治屋のMEIDI-YAは訓令式で、ヘボン式ではありません。
ヘボン、訓令の話しは
「2月7日 鎌倉丸をめぐる4つの物語」
で少し触れましたので参考にしてください。
明治屋が決して文科省に従っている訳ではありません。創業時からのローマ字訓令式表記です。

明治屋 山下町店

本題に戻ります。
紙袋に1885年 YOKOHAMAと表記されているように、明治屋は1885年(明治18年)10月に横浜市中区万代町で創業されました。(後に本町、尾上町、現在の本社は東京京橋)
創業者は磯野 計(いその はかる)、「商業に貴賎の別があるものか。食料品の商業をかならずノーブルなものにしてみせ」た人物です。最初は日本郵船の船舶への食料品、雑貨等を納入する仕事から始めました。当時、商人それも食品を扱う「あきない」には偏見も強くあったようです。
磯野 計は、帝大を出て代言人(現在の弁護士)事業を始めますが、上手くいきません。岩崎弥太郎のいとこで三菱を支えた豊川良平に見いだされ、給費留学生として英国に留学します。
英国では、得意な法律ではなく当時日本人としては数少なかった複式簿記をマスターし、船舶全般に関係するマネジメント(商業実務)を身につけます。磯野はその実務能力を買われ英国に注文してあった新造船「横浜丸」を日本に運ぶ船舶事務長に任命されます。
帰国後、神戸で実務に就きますが、船舶に必要な物資調達が外国商館に独占されていることを実感し“日本人による船舶納品業”を始めることを決心します。これが「食品商社 明治屋」のはじまりです。明治屋は逆に外国の商船、軍艦とも取引を成功させ事業を拡大します。この時に掲げたのが「世界のベスト(最良品)を売る」という現在まで続く明治屋のスローガンです。

 

この事業展開のバックボーンにスコットランド商人、トーマス・ブレーク・グラバーの支援があったことも見逃せません。(この辺りの話しもいろいろ輻輳していて面白い)

磯野 計は、明治期の実業家列伝には中々登場しない存在ですが、かなりダイナミックで、現代マーケティングに近い手法で企業ブランドを築いた人物です。
一番の決断は、1885年に再建されたジャパンブルワリー・カンパニー(後のキリンビール)の総代理店権を1888(明治21)年5月に獲得したことです。
保証金の供託が必要でしたが、豊川良平等を保証人に立て調達します。
この1880年代は、
現在の日本を代表するビール会社が次々と誕生した時代です。1887年には東京で日本麦酒、札幌麦酒がそれぞれ設立され、関西では1889年に大阪麦酒(アサヒビール)が設立されます。

総代理店権(販売権)を獲得した明治屋は、画期的な販売戦略を打ち出していきます。
エリア戦略
全国を60 の地区に分割し、地区別代理店を設置、販売網の責任を明確にします。
物流倉庫の拡充をはかりロジスティック戦略を展開します。
特に際立ったのが「宣伝戦略」です。

代表ブランド「キリンビール」を発売するに際し、『時事新報』や『横浜毎日新聞』に広告を展開します。
「数年以来我国に於てビール酒の醸造は、年を逐て盛になりたれ共、
何分、品柄の思はしからざる所より、独逸製のビールに圧倒され殆
んど失敗の姿なるが、先般、横浜山手の居留地に起業したるジャパ
ンブルワリー会社は、其道に賢しこきヘッカルト氏を、独逸より招
聘し、本家本元の製法に基づき、日本人の嗜好を察し、屢々試醸の
功を積み、今度、弥々その成績を顕はし、色艶と云ひ、風味と云ひ、
世間の有ふれのものと違ひ、稀有絶無の良品を得たるに付き、
横浜北仲通の明治屋に於て、売捌代理を引受け、別に大阪売店を設
け、左に記せる割合を以って発売いたし候間、多少に拘わらず注文
あらんことを請ふ。」

大きなキリンビールの樽の形をしたビヤホールを作り客に美人画ポスターを配る。
自社ブランドマークのついた車両を使った街頭宣伝や販売店の店頭看板の充実を徹底。
例えば新橋駅を使った日本初のイルミネーション看板の設置。
「鏡」や「団扇」「マーク入りグッズ」などを配布するインセンティブ戦略。
これらは 一例に過ぎません。明治時代に行われたことに驚きませんか?

明治屋にとって悲しい事態が起ります。
1897年(明治30年)12月14日、磯野 計は39歳で逝去します。
その後、明治屋は
ビールの販売、日本酒「月桂冠」販売の総代理店、三ツ矢サイダーブランドをてがけます。

忘れてはいけないのがジャムです。「MY」ジャムの第一号は、1911年(明治44年)明治屋が株式会社になった年に発売されます。

瓶ではなく缶です。
ピーナッツジャムもオススメです
 

今日まで約100年、「MY」ブランドは現在も明治屋の看板商品群として人気を博しています。
夏にはかき氷に「MYシロップ」ですよね。


苦いキリンビールと甘いジャム。
そして 洋酒の輸入でも明治屋ブランドは時代を作ります。
ホワイトマッカイ
ダルモア
オールド・セント・アンドリュース
クーリー
メーカーズマーク
クール・ド・リヨン
この洋酒のラベルに、明治屋の歴史が刻まれていることを知っていますか?
裏面の商品内容表示 輸入者は明治屋で 住所は 横浜市中区尾上町となっています。


カルバドス、リンゴのブランディです。
現在、創業祭を実施中です!(2012年)

詳しくは明治屋HPで。

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください