2002年(平成14年)の今日、完成しました。
2012年で開通10周年です。
この道が街の魅力を変えました。
これからの季節、暖かくなりますので散策にぜひどうぞ。(自転車はご遠慮ください)
作図は私ですので正確ではありません |
戦後、横浜港の水際を自由に散策できるようになったのはつい最近のことです。現在、横浜最大の人気スポットみなとみらいエリアは造船所でした。また、新港埠頭(カップヌードルミュージアム、赤煉瓦倉庫他)や象の鼻エリアは港湾施設と貨物線がありオフリミット、一般の人は近づくことができませんでした。
唯一の横浜港を楽しむゾーンは「山下公園」位しかありませんでした。しかもそこには1961年本牧ふ頭の倉庫のために新港埠頭から貨物線が延長されました。
ニューグランドの前にも高架橋がありました |
水の守護神、貨物線、中華街 |
今考えれば驚きますが、横浜の観光資源といえば元町中華街(山手)しか無かったのです。「みなとみらい」の開発計画が1960年代に計画されようやく1989年の横浜博をスタートラインにして開発が始まります。まだ、みなとみらから山下公園ゾーンまで「繋がっていない」横浜がそこにありました。横浜の賑わいが開港場(大桟橋)付近で分断されてしまうのです。
「街の魅力は人が楽しく歩ける道があることです。」「現在過去未来をつなぐことで横浜はもっと魅惑的になる」とアーバンデザイナーの国吉直行さんは横浜の二つの核ゾーンを繋ぐ重要性を語っています。桜木町から赤レンガ倉庫まで繋ぐ「汽車道」そして、「横浜港駅」から「象の鼻」を経由して山下公園、山手へ向かう山下臨港線プロムナードを一本につなぐ。
「車に影響されず自由に徒歩で移動できる」軸線が完成したのです。
2009年開港150周年、ここを訪れた数十万人たちがこの道を体感しました。
現在、「象の鼻」エリアにとっての高架橋の是非が今議論されていますが、どちらにも横浜の魅力を伝える力があると思います。議論を広くじっくりして欲しいと思います。風景はもどりません。
今後、横浜ベイエリアは、さらにウェストベイエリア(ポートサイド地区)に広がりつつあります。そして東は新山下、貯木場エリアがどうなっていくのか?興味津々です。
湾岸の魅力はまだまだひろがりそうです。