横浜の年表から
今日起った出来事をピックアップしました。
(今日はちょっと手抜きしました。羅列のみです。追って掘り下げます。)
●1934年(昭和9年)の今日
英国産業連盟満州国視察団のバーンビーら四名、満州入りの途次来日。
この日郵船「竜田丸」で横浜着。
→竜田丸は別途テーマにする予定です。
No.39 2月8日 龍田丸をめぐる2つの物語
●1923年(大正12年)の今日
21日山下町に設置されたアメリカ船の野戦病院が日本赤十字に寄贈されました。
●1923年(大正12年)の今日
日本郵船が横浜・清水間の海上輸送をはじめました。
<清水港小史>
1863年(文久3年)清水港から横浜港へ『静岡茶』を初めて出荷します。
1876年(明治9年)清水〜東京間の定期航路が開かれます。
1879年(明治12年)米国前大統領グラント将軍が来港します。
1897年(明治30年)清水に横浜税関支署が設置されます。
1899年(明治32年)国際港として“開港”します。
1906年(明治39年)静岡茶を初めてアメリカに輸出します。
緑茶515ポンドを日本郵船の「神奈川丸」で米国シアトルに初めて出荷します。
1910年(明治43年)清水港の緑茶の輸出量が横浜港を上回ります。
1923年(大正12年)関東大震災に際し、復興用の大量の木材を被災地ではなく清水港に緊急輸入し横浜・東京に搬出し復興の原動力となります。
●1925年(大正14年)の今日
「詩之家」を主宰する佐藤惣之助(34歳)は、横浜鶴見にある三笠園で野外詩会を開催しました。会には36名集まり互選採点の結果13票田辺憲次郎、10票八木重吉、7票佐藤惣之助、6票大鹿卓などでした。
【佐藤惣之助】川崎市出身の日本の詩人、作詞家。作曲家、古賀政男と組み多くの楽曲を世に送り出します。1938年(昭和13年)には、久米正雄、林房雄、川口松太郎らと中国へ従軍記者として赴きます。
『赤城の子守唄』(昭和9年2月)
『大阪タイガースの歌』(昭和11年3月)
(現:阪神タイガースの歌、通称:六甲颪)
『人生の並木路』(昭和12年2月)
『人生劇場』(昭和13年7月)
『新妻鏡』(昭和15年6月)
【八木重吉】神奈川県師範学校(現・横浜国立大学)出身の詩人。この野外詩会で入選したことをキッカケで佐藤惣之助主催の「詩之家」の同人となります。結核になり茅ヶ崎で療養生活を送りますが29歳で亡くなります。たった5年ほどの短い詩作生活でしたが、その間に書かれた詩篇は、2000を優に越えました。
http://2style.net/misa/fuguruma/yagi/yagi.html
【大鹿 卓】小説家、詩人。金子光晴の実弟で、京都帝国大学経済学部中退し、秋田鉱山専門学校を卒業し化学教師を務めながら詩を書きます。
※トップ入選した田辺憲次郎に関しては不明です。
※鶴見三笠園
鶴見には一時期東洋一といわれた「花月園」がありました。
その後、近隣に競合の遊戯施設「三笠園」が進出します。
●1951年(昭和26年)の今日
商工会議所会頭「平沼亮三」は1951年(昭和26年)4月に市長選で当選、横浜市長に就任したため辞意を表明します。
議員総会を開き第14代会頭に原良三郎を選任しました。
●1952年(昭和27年)の今日
第1回横浜市長杯争奪ノン・プロ女子野球大会が開催されました。(〜28日)
結果は岡田乾電池が優勝しました。
※女性の野球大会が戦後早々に開催されていたんですね。
●1966年(昭和41年)の今日
捺染業者である日国産業社長“志村吉造”が電動式自動スクリーン捺染機を完成します。横浜と捺染の関係は深いものがあります。
→捺染は別途テーマにする予定です。
●1975年(昭和50年)の今日
伊勢佐木町の誕生100年記念祭が開催されました。
→伊勢佐木町、イセザキモールは別途テーマにする予定です。
●1988年(昭和63年)の今日
MM21新線と競合する市営地下鉄3号線延伸ルートの事業免許の取り下げ方針決定しました。
→市営地下鉄3号線延伸に関しては別途テーマにする予定です。