禁断の「絵葉書世界」に足を踏み入れてしまい、いまだ半分躊躇しています。
そこで 集められる範囲、閲覧できる範囲で
ハガキを愉しむことを始めた次第です。
絵葉書に関しては特に「横浜」にこだわらず
メディアとしての絵葉書の役割を考えはじめています。
(逆版)
昔、印刷物で“逆版”が登場するケースがときたまありました。フィルムの裏表を間違えて版下を作ってしまう事から生じるイージーミスです。フィルムには表裏を確認することができる文字が入っています。
殆どデジタル画像となった現在では、“意図的に”逆版にしない限り間違う事はありません。フィルム時代が懐かしいですね。
「絵葉書」の世界にも結構“逆版”があるよ!と友人に言われ
絵葉書を見る場合にわかる範囲で“逆版”探しをしていますが、風景の場合元の風景を知っていない限り中々その画像が“逆”と判断できません。
はっきり文字が逆さまになっていればすぐにわかりますが、制作側も当然間違えない訳で、市場に“逆版”として出回っている風景はわかりにくいものが殆どです。(発見)
「絵葉書」を使って時代を読み解く楽しみの一つが
その時代に出会うことができるからです。個人の昔のスナップ写真には意図しない風景が写り込んでいる場合がありますが、「絵葉書」の場合
“商品化”というステップを踏んでいます。
一見、ごく普通の風景にも「絵葉書」化されるには
当時の“事情”“背景”がありました。
その 背景・事情を含め読み解くと 絵葉書から時代を読み解く意味合いと面白さが発見できます。
ということで何気無しに昔の建築物を知るために入手した
「丸ノ内ビルヂング」の一枚がここで登場します。
「丸ノ内ビルヂング」→丸ビル
現在の「新丸ビル」情報は
http://www.marunouchi.com/top/marubiru
歴史的な経緯は
http://ja.wikipedia.org/wiki/丸の内ビルディング
Wikiに「旧丸の内ビルディング」の紹介と写真が掲載されていましたので
写真を転載しておきます。
<1997年1月22日にPekePONがAPSで撮影>
1926年(昭和2年)大改修の「旧丸の内ビルディング」正面を撮ったものです。右方向が皇居、左方向が有楽町駅方向です。再度、戦前の“おそらく”竣工直後の「旧丸の内ビルディング」と1997年の写真を見比べてみてください。
殆どシンメトリー、左右対称の設計なのでわかりにくいのですが、
私は 一瞬 違和感を感じたのです。数年前なら違和感は起こらなかったかもしれません。
今回はこの風景に不自然さを感じます。
理由は路面電車の領域に関心が出てきたからです。
この画像の「都電(戦前は市電)」の方向に疑問を感じました。
素直に眺めると 市電は東京駅前広場と皇居を結んでいることになります。
まず 丸ビル・東京駅が新しい頃の画像を探しました。
中々確証がつかめませんでしたが、
再度「旧丸の内ビルディング」写真を眺めてみました。
「旧丸の内ビルディング」は左右対称ではない。
ということがわかりました。
敷地の関係で長方形で、幅が異なっていることに気がつきました。
長辺のブロック数と短辺のブロック数が違います。
そこで写真を逆版にしてみて 改修前の「旧丸の内ビルディング」と一致する事がわかりました。
<逆版にした丸ノ内ビルヂング>
良く眺めると、市電の送電線でわかりますね。
(余談)
角地に横浜生まれの「明治屋」が出店しています。
「旧丸の内ビルディング」が大正12年春に大改装した際、明治屋は一等地に進出します。
大改修施行が大林組なのでサイトで確認してみました
http://www.obayashi.co.jp/works/work_H640
明治屋は三菱Gで、日本郵船とともに横浜で大きくなった会社です。
明治屋社史でも丸ノ内支店への出店を大きく取り上げています。
「磯野計が創業より己の事業の本拠として進出を夢見ていた丸ノ内(東京麹町区永楽一丁目→現在の丸の内一丁目)に大正十二年二月丸ノ内ビルディング(丸ビル)が竣工しその一階一三九号に、当社「丸ノ内支店」が三月出店、小売ストアと喫茶室を併設した。」
「国民的存在としての丸ビル」には商店街出店申し込みが四十倍にも上がり」と記しています。
残念なことに「丸ビル」は大改装後 半年で関東大震災に遭遇します。
丸ノ内エリアが殆ど瓦解・焦土化した中、この丸ビルは残ります。
修復後、明治屋も継続してこの場所に出店し現在まで営業しています。
No.113 4月22日 甘辛両党おまかせ!
最後に少し横濱と繋がりました。
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