【絵葉書が語る横浜】吉田橋脇2

このブログは、調べながら書き、書きながら調べるという自転車操業が常態化しています。先日【絵葉書が語る横浜】と題して吉田橋際の鶴屋呉服店の風景を探ってみました。

改めて、吉田橋界隈の写真・絵葉書を探していたところ別の「絵葉書」を発見しましたので、簡単ですがパート2として紹介します。
※専門家が探れば簡単な時代考証ですが、ここでは素人の試行錯誤の様子を紹介しています。(毎度の事です)
lig_伊勢佐木イセビル036
<上記写真が以前紹介した吉田橋界隈>
【絵葉書が語る横浜】 吉田橋脇ここでは横浜亀の橋生まれの「鶴屋呉服店」の吉田橋店を推理しました。
亀の橋から亀屋にせず“鶴”としたのは鶴と亀にひっかけたかったのですかね。
そしてさらに東京の“松屋”ですから、縁起が良いといえば中々のものです。
事の真偽は別にして
亀の橋「鶴屋」は 当時の大繁華街「伊勢佐木」入口に店舗を出します。
ここで紹介した「絵葉書」には低層の鶴屋の店舗が写り込んでいることと
1927年(昭和2年)に竣工した「イセビル」が写っていることから昭和初期の風景だという事がわかります。
今回の吉田橋脇の絵葉書をご覧ください。
lig_吉田橋から伊勢佐木046
さらに時間が経ち「鶴屋呉服店」が「松屋」となり五階建ての当時としては近代的なビルとして登場しています。
松屋横浜支店が竣工したのが記録では1930年(昭和5年)です。
振り返って、
【絵葉書が語る横浜】 吉田橋脇
小サイズ
で紹介した風景の年代を確定しないままにしましたが、ここでもう少しはっきりさせておきます。
「イセビル」竣工と「松屋横浜店」竣工の間
1927年(昭和2年)〜1930年(昭和5年)の間の風景です。

さて、
今回の「吉田橋より伊勢佐木町を望む」の風景も、かなり撮影時期を絞り込む事ができました。
まず季節ですが、半袖と日傘の服装から暑い時期、夏頃ではないでしょうか。
lig_半袖姿
年代は
1930年(昭和5年)〜1941年(昭和16年)ごろの10年に絞り込めます。
横道にそれますが「中区わが街 中区地区沿革外史」に戦前戦後の町並みを「記憶絵図」として収録されています。(PDFですが画像は解読に難)
http://www.city.yokohama.lg.jp/naka/archive/reference/wagamachi.html
ここに昭和10年頃の伊勢佐木一丁目マップがあり照らし合わせてみると いろいろ情報が見えてきます。
※薬「わかもと」の広告塔のあるビルは「丸高十銭ストアー」とか。

この風景の時代特定は、意外に簡単でした。
画像に映画の上演案内の看板があり、そこから時期を特定する事ができます。
「2013年12月16日 一枚の絵葉書から」

このブログでも、重要なヒントは「映画」でした。

都市発展記念館のサイトには
http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/ppcDB/ppcDB_a12_021_03.htm
『備考:画面左の建物は松屋横浜支店(1930年竣工)。垂れ幕には「祈皇軍武運長久」と書かれている。中央の広告塔の看板は「わかもと」。絵葉書は1933(昭和8)〜45年刊。』
とありますが、もう少し時期をしぼる事ができます。

(開戦前夜の夏)
この「絵葉書」には、読みにくいですが
映画の上演案内が写っています。
lig_映画看板
「小島の春」と「南風交響楽」です。
二本の邦画作品が並んで掲げられています。
「小島の春」1940年(昭和15年)7月31日公開
「南風交響楽」1940年(昭和15年)7月24日公開
特に
「小島の春」はヒットしこの年の暮れに発表されたキネマ旬報年間ランキングで第一位となります。
1940年(昭和15年)この年は皇紀二千六百年でもあります。
この「絵葉書」はこの時期に映された映像をプリントしたことになります。
※「小島の春」は女医小川 正子(おがわ まさこ)が描いたハンセン病在宅患者のノンフィクション小説を映画化した作品で、1937年(昭和12年)に長崎出版より発刊しまたたくまにベストセラーとなります。
この「小島の春」大ヒット、研究者荒井英子は『小島の春』現象と呼び「ハンセン病とキリスト教」(岩波書店)の中で70p以上に渡って分析しています。
ファシズム化の進む中、ハンセン病患者の“囲い込み”政策に上手く利用された疑念は拭えません。
→ここではテーマがずれてしまいますが、
メディアとしての映画が、弱者を切り捨てていく“美談”を謳い、酔いしれる大衆の怖さを学ぶ良いケースです。
lig_小島の春
もう少し時期を絞り込める情報がこの「絵葉書」には写り込んでいます。「松屋横浜店」の壁面に架かっている懸垂幕です。
lig_松屋懸垂幕
7月23日より8月3日まで
「●銀 即金買上げ 取扱い」
→おそらく “満州事変”勃発以降始まった「金銀 (強制)買上」政策の一つを百貨店が代行していたと考えられます。
もう一面の壁には「祈皇軍武運長久」の幕が架けられています。
→同じく戦時下となり国内に緊迫感が次第に高まってきている時期です。
1940年(昭和15年)か
1941年(昭和16年)のつかの間の夏。
lig_吉田橋から伊勢佐木046
あらためて
肩幅の広い「吉田橋」の存在感を感じる一枚です。


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