1月31日はこのテーマしかありません。路線廃止です。
平成16年(2004年)のこの日、71年の歴史に幕が降ろされました。
廃止決定に当たっては、様々な騒動も起きました。
高架線下の名物落書きも消えました。廃線後の線路道はまだ再利用されていません。
本日はこれにて終了、にしようと思いましたが、この日もう一つ廃止になった交通機関があります。1972年(昭和47年)横浜市電がこの日全線廃止となりました。
市電について少し調べてみました。東横線はyoutubeをご覧ください。
「さよなら東横線桜木町横浜」
http://www.youtube.com/watch?v=4hm6BujSBkc
http://www.youtube.com/watch?v=PPuG953IZyc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=acm8d67gWEk&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=7Lt0Gmteo_k&feature=related
【横浜市電】
「さよなら東横線桜木町横浜」
関連
(横浜電気鉄道)
1904年(明治37年)7月15日民間会社の横浜電気鉄道が市内初の路面電車営業を開始しました。区間は神奈川〜大江橋(現在の青木橋から桜木町)です。1921年(大正10年)に横浜市が横浜電気鉄道路面電車を買収します。横浜市電気局の誕生です。1946年(昭和21年)に横浜市交通局になります。
路面電車は軌間(線路の幅)が標準軌で1,435 mmです。関東大震災後、多くの車両が焼失し、不足に陥りました。そこで、現在の京王線(京王電気軌道)から車両を購入します。当時京王線からどうやって車両を運んだか?
京王線の新宿追分駅までまず車両を移動し、市電(都電)との連絡線を経由し、品川まで移動。京浜電鉄経由で生麦まで運んだということですから驚きます。
規格は統一しておくとコストダウンにつながる良い例ですね。運んだ時間帯は不明です。
昭和30年代に最盛期を迎えます。
市電保存館HPより |
1966年(昭和41年)に生麦線、中央市場線を廃止したのを皮切りに廃止路線が増えて行きます。そして1972年(昭和47年)市電とトロリーバスが全廃されその姿を消しました。
最終日には「花電車」が走行し、かつての車両もデモで走ったそうです。省エネ時代どこか可能な所を復活させても良いのでは?と思います。
昭和30年代、横浜市の交通局は黒字で、毎年一般会計に剰余金を入れていました。
今とはまったく逆だったのです。
当時は、横浜市民の移動は、市内だけだったので、皆市電、バスを利用していたからですね。