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【市電ニュースの風景】1931年  №17

light_17号目下1930年代の短期間に発行していた「市電ニュース」の風景を読み解いています。1号を前回読み解きましたが、今回からタイミングを同じ暦に合わせて紹介します。
1931年(昭和6年)4月25日(土)〜5日1日(金)
(干潮 25日(土)は午后3時5分、26日(日)は同4時半、29日(祝日)は午前9時15分)
25日(土) 岡村天満宮文墨祭(電車天神道假停留所下車)
=市内児童の優秀書方奉納展覧)
同日 帝大對横濱高工野球戦(午后3時横濱公園、球場にて)
26日(日) ロスアンゼルス對母校連盟野球戦(正午 仝 所にて)
27日(月) 立教對松山高商野球戦(午后3時 仝 所にて)
29日(火) 産業振興大講演会(電車バス本町1丁目下車)
=午后2時より開港記念会館にて=
30日(水) 『郵船』龍田丸入港(午前中ホノルルより4号岸壁へ)
5月1日(木) 県立工業学校開校20年記念祭(電車バス二ツ谷・反町下車)
=3日まで校内一般縦覧並製品陳列即売=

懸賞標語
「行先は明瞭に・乗換は簡単に(当選者 山崎直吉)」
※(曜日)は追記しました。一部原文より新字・アラビア数字を使っています。
※仝は同の古字
[キーワード]
■干潮時間が「市電ニュース」に何故掲示されているのかといえば
この時期の市民レジャーの一つが潮干狩りでした。最も砂浜の面積が広がる干潮時を知らせることで 市民の外出を促しました。
現在横浜市内で潮干狩りができるのは金沢区の「海の公園・野島」の浜周辺です。blo海の公園看板98

■ロスアンゼルス對母校連盟野球戦
ここに登場するロスアンゼルスとはどんなチーム?
簡単な調べでは中々情報が出てきませんが、日米野球にとって1931年(昭和6年)は重要な年のようです。
別の年表からこの「ロスアンゼルス」チームが米国ロスアンゼルスの邦人チームと判明、それを手がかりにもう少し調べてみると、
「ロサンゼルス・ニッポンズ」という名のチームと思われます。
「若林忠志らのいた法政大学など日本の大学野球部やアマチュアクラブチームと対戦し圧勝」といった記事も見つかりました。
なぜ1931年が日米野球にとって重要かというと
1931年(昭和6年)米国メジャーリーガーのゲーリッグら選抜軍が<客船龍田丸>にて来日し初の日米決戦が実現します。全日本チームが結成されますが17戦完敗します。
さらに1935年(昭和9年)にはベーブ・ルースらが来日、日本では沢村栄治、伊達正男らが善戦しますが16戦全敗します。ベーブ・ルースはホテル・ニューグランドに宿泊しました。
この年に大日本東京野球倶楽部(現在の読売ジャイアンツ)が創設されます。
また、台湾初の台湾人と日本人と先住民による三民族混成の野球チームが台湾代表として甲子園大会(当時は「全国中等学校優勝野球大会」)に出場し、準優勝という快挙を成し遂げた実話を映画化したのが「KANO 1931海の向こうの甲子園」です。
http://kano1931.com

■天神道假停留所は「第一号その2」で紹介しました。
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=7279

■(神奈川)県立工業学校
1911年(明治44年)に開校した、神奈川県で最も歴史のある工業高校です。
現在は「神奈川工業高等学校」となり「かなこう」または「じんこう」と呼ばれています。
http://www.kanagawa-th.pen-kanagawa.ed.jp

■『郵船』龍田丸
龍田丸は、この3年のニュースの中でも頻繁に登場します。
ここで龍田丸の概略だけ紹介しておきます。

龍田丸

龍田丸は、日本郵船がかつて保有していた遠洋客船です。
1930年(昭和5年)三菱造船長崎造船所で建造されました。「龍田丸」は北米航路を隔週で運行し主な寄港地は香港・上海・神戸・横浜・ホノルル・ロサンゼルスおよびサンフランシスコでした。
起工:1927年(昭和2年)12月3日
進水:1929年(昭和4年)月12日
竣工:1930年(昭和5年)3月15日
就役:  同  年 4月25日
喪失:1943年(昭和18年)2月8日
総トン数:16,955トン
船客定員:総数839名
乗組員:330名
姉妹船:浅間丸と秩父丸(後に鎌倉丸に改名)
初航海は1930年(昭和5年)4月25日に横浜からサンフランシスコへ。No.39 2月8日 龍田丸をめぐる2つの物語

No.39 2月8日 龍田丸をめぐる2つの物語