【横浜の橋】№10 残った紅葉橋(陸橋)

投稿者: | 2016/04/22

横浜に初めて鉄道を敷設する際、野毛浦・伊勢山・鉄道山沖の海辺を埋立て鉄道用地を確保する。その際に埋立地と陸部の狭間に排水路(運河)を作った。スクリーンショット 2016-04-21 13.20.00 スクリーンショット 2016-04-21 13.17.52 最初は「桜木川」と呼ばれ、後には「桜川」と呼ばれた。
明治に誕生した「桜川」は次第にその役割を終え、水量の少ないドブ川に変身、昭和20年代には空堀となりそこに戦後の闇市が建ち並び立ち退き訴訟にまでなった。
その後「桜川新道」(新横浜通り)が誕生し橋は無くなることになる。lightP2240166大岡川と石崎川(帷子川)を繋ぐ桜川に架かっていた橋の数は少し変わるが、
「錦橋」「緑橋」「瓦斯橋」「紅葉橋」「雪見橋」「花咲橋」「戸部橋」「桜橋」と八つありその中で市電の停留所だった「雪見橋」「花咲橋」が現在もバス停として残っている。スクリーンショット 2016-04-21 14.51.27そして唯一残った橋が紅葉坂と桜木町・内田町を繋ぐ<紅葉橋>である。まさに過去と(みなと)みらいを繋ぐ橋だ。
「紅葉橋」
この橋は、坂の橋である。橋が急傾斜しているのだ。傾斜角度を測ったことは無いが、自転車での登攀は電動でない限りかなり厳しい。降雪時は徒歩でも危険な傾斜角である。
light_1040816 急な紅葉坂を下った先に「紅葉橋」が架かっているのだが、坂の下が出っ張った崖っぷちになっているために、坂の橋で繋ぐしか無かったのだろう。

もう一つの特徴は上下線が分かれている双橋であることだ。スクリーンショット 2016-04-22 02.43.45lightimg紅葉橋界隈183<赤い線が丘稜線>
実は、この紅葉橋は、乱暴な表現だが「架け足し」た橋である。拡張ではなく、旧橋の横に新橋を加え、上下分離線となっている。
手元の神奈川県資料によると
1982年に旧紅葉坂(幅員9m)が架け替えられ現在に至っていて
2001年に新紅葉坂(幅員6m)が横に架けられている。lightPA135075ただ 見る限り共に2000年の工事で取り替えらたような仕立てなので旧紅葉坂はリフォームされているのだろう。
lightFH000028紅葉橋

上の写真と比べるとJR高架橋下の道路が拡張されていることは判る。

lightFH000029<1990年ごろの紅葉坂・紅葉橋>

このあたりは歴史の<ネタ>が満載。
キーワードだけも紹介しておこう。
近代日本で最初に国賓が泊まった横浜離宮・鉄道山・高島嘉右衛門・井伊直弼・伊勢山皇大神宮・ユースホステル・税関宿舎(大平正芳、福田赳夫)・前川國男・金星・神奈川奉行所・米軍倶楽部
2014年(平成26年)7月1日に北改札が完成したことで大きく人の流れも変わりつつある。light紅葉坂14 まもなく旧東横線高架橋の遊歩道も出来上がるとこの橋を上から眺めることができるだろう。

散策におすすめのエリアだ。
追々これらのテーマも紹介していきたい。