国盗り合戦といえば それは戦国時代に遡ります。
江戸時代は 国替えもありました。 近代に入り、明治初期に都道府県が制定され
その後
1889年(明治22年)4月1日以降、市町村制が始まります。
その後、全国市町村は<合併>の二文字に揺れます。
明治期に71,314の町村があったそうです。
明治22年
「明治の大合併」町村数は15,859と約5分の1に減少。
昭和28年〜昭和36年
「昭和の大合併」市町村数は昭和36年で3,472に減少。
<横浜の市域拡大>
横浜を例に取れば、
現在の市域はかつて国を分けた<相模国>と<武蔵国>をまたいでいます。
近世以前の国区分には川や山が重要な要素でしたが、交通網が発達してくると国境が次第に曖昧になってきます。武蔵国と相模国を分けたものは尾根筋、稜線ですがもう一つの視点では<水系>で現在の18の区を分けることもできます。
<隣接市>
横浜市は東が川崎市 西が藤沢市・大和市
南は鎌倉市・逗子市・横須賀市と隣接しています。
これまで横浜市で目いっぱいでしたが、今回は
少し近隣にも視野を広げてみることにします。
お隣、川崎市との市域の歴史、ほとんど知りませんでした。
プロローグに川崎の市域拡大を紹介しておきます。
■川崎市の変遷
大きく6次に渡って市域が拡大されました。
1924年(大正13年)7月1日[合体し市制開始]
橘樹郡川崎町、大師町、御幸村が合体し川崎市発足
1927年(昭和2年)4月1日[第1次市域拡張]
橘樹郡田島町 編入
1933年(昭和8年)8月1日[第2次市域拡張]
橘樹郡中原町 編入
1937年(昭和12年)4月1日[第3次市域拡張]
橘樹郡高津町、日吉村(鹿島田・小倉・南加瀬)編入
1937年(昭和12年)6月1日[第4次市域拡張]
橘樹郡橘村 編入
1938年(昭和13年)10月1日[第5次市域拡張]
橘樹郡稲田町、生田村、向丘村、宮前村 編入
1939年(昭和14年)4月1日[第6次市域拡張]
都筑郡柿生村、岡上村 編入
別添の市域拡大図から分かる通り、川崎市は市となった当初実に不安定な市域を擁していました。橘樹郡田島町が川崎市に編入されたのが昭和2年。これが一つのターニングポイントです。
■横浜市の市域拡大
1889年(明治22年)4月1日【市制施行】
1901年(明治34年)【第1次市域拡張】
1911年(明治44年)【第2次市域拡張】
1927年(昭和2年)【第3次市域拡張】
1936年(昭和11年)【第4次市域拡張】
1937年(昭和12年)【第5次市域拡張】
神奈川区に、橘樹郡日吉村から大字駒ケ橋(下田町)、駒林(日吉本町)、箕輪(箕輪町)および矢上、南加瀬の各一部(いずれも日吉町)を編入(日吉村の他地区は、川崎市へ編入。)
1939年(昭和14年)【第6次市域拡張】
【番外編】市域拡大は元気なうちに!?(加筆)
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=359
No.91 3月31日 自治体国取り合戦勃発
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=526
<水利が市域の鍵>
市域拡大の背景には<水利権>が欠かせません。
水を巡る横浜・川崎の話を何回かに分けて紹介していきます。