タイトルほどの、謎解きではありません。
3月20日のネタ貼に
「横浜商法学校、横浜町会所内に開校」とありました。
あれ?記憶違い?から 謎解きが始まりました。
■横浜商法学校とは、
横浜市立横浜商業高等学校(愛称Y校)の前身です。
Wiki等で変遷を整理すると
★横浜市立横浜商業高等学校は?
1882年(明治15年)3月20日開校の横浜商法学校
→横浜商業学校→本町外十三ヶ町立横浜商業学校
→横浜市立横浜商業学校→横浜市立横浜商業高等学校
と整理できました。
http://www.edu.city.yokohama.jp/sch/hs/y-shogyo/
場所に関しては
1882年(明治15年)
横浜商法学校が設立され,町会所桜上にて授業を開始(3月20日)
1905年(明治38年)
南太田の現在地に校舎が落成し,移転した(9月)
と(Y校のHP)の記事があります。
ところが私愛用の
1892年(明治25年)発行の地図に「横浜商法学校」の記載があったような?
確認してみると
北仲に「商業学校」「横濱学校」という記載がありました。
記憶通りではありませんでした。
学校名が違う! 北仲にある学校は?
明治15年の地図には「如春学校」と記載されています。
「本町に小学如春学舎」
学制に従い北仲通三丁目に第l大学区、第七中学区、第一番小学壮行学
舎として創立
第二番小学如春学舎(明治6年5月、元弁天の官舎に創設)
第三番小学同文学舎(明治6年6月、住吉町に創設)を併合して
元浜町一丁目に移転、横浜学校と改称
「横浜近代史年表」他の資料から
横浜商法学校は、
1882年(明治15年)3月20日
町会所(現在の開港記念会館)で創立され
11月26日 27日(※修正します)理由は明日を読んでください!
本町六丁目・北仲通六丁目に新築移転
とわかりました。
昭和初期の北仲 |
【Y校の歴史】
1882年(明治38年)港の有力生糸商人・小野光景らにより横浜商法学校設立。
1888年(明治44年)横浜商業学校と改称。
1905年(明治38年)現在地に校舎が落成し、移転。
1917年(大正6年)横浜市立商業学校と改称。
1924年(大正13年)本科の上に2年制の専修科を置く。神中(神高)戦[2]が開始される。
1928年(昭和3年)専修科を母体に横浜市立横浜商業専門学校(通称Y専)を設置。
1948年(昭和23年)学制改革により横浜市立横浜商業高等学校となる。
1949年(昭和24年)横浜市立港高等学校を統合し、男女共学となる。商業科、普通科、家政科、別科として理容科が設置される。港高校の夜学部を港分校とした。
1950年(昭和25年)港分校は横浜市立港高等学校(定時制)として分離独立した(港高校の復活)。
1982年(昭和57年)創立100周年記念式典挙行。