閉じる

No.428 Y校創設地はどこだ?

タイトルほどの、謎解きではありません。
3月20日のネタ貼に
「横浜商法学校、横浜町会所内に開校」とありました。
あれ?記憶違い?から 謎解きが始まりました。

nnM25-E7-94-BA-E4-BC-9A-E6-89-80400dpi

■横浜商法学校とは、
横浜市立横浜商業高等学校(愛称Y校)の前身です。
Wiki等で変遷を整理すると
★横浜市立横浜商業高等学校は?
1882年(明治15年)3月20日開校の横浜商法学校
→横浜商業学校→本町外十三ヶ町立横浜商業学校
→横浜市立横浜商業学校→横浜市立横浜商業高等学校
と整理できました。
http://www.edu.city.yokohama.jp/sch/hs/y-shogyo/
場所に関しては
1882年(明治15年)
横浜商法学校が設立され,町会所桜上にて授業を開始(3月20日)
1905年(明治38年)
南太田の現在地に校舎が落成し,移転した(9月)
と(Y校のHP)の記事があります。

ところが私愛用の
1892年(明治25年)発行の地図に「横浜商法学校」の記載があったような?
確認してみると

nnY-E6-A0-A1-E5-89-B5-E7-AB-8B-E3-81-AE-E5-9C-B0

北仲に「商業学校」「横濱学校」という記載がありました。
記憶通りではありませんでした。
学校名が違う! 北仲にある学校は?
明治15年の地図には「如春学校」と記載されています。
「本町に小学如春学舎」

nn-E5-8C-97-E4-BB-B2-E5-85-AD-E4-B8-81-E7-9B-AE-E3-81-82-E3-81-9F-E3-82-8A

学制に従い北仲通三丁目に第l大学区、第七中学区、第一番小学壮行学
舎として創立
第二番小学如春学舎(明治6年5月、元弁天の官舎に創設)
第三番小学同文学舎(明治6年6月、住吉町に創設)を併合して
元浜町一丁目に移転、横浜学校と改称

「横浜近代史年表」他の資料から
横浜商法学校は、
1882年(明治15年)3月20日
町会所(現在の開港記念会館)で創立され
11月26日 27日(※修正します)理由は明日を読んでください!
本町六丁目・北仲通六丁目に新築移転

nn-E6-98-8E-E6-B2-BB15-E5-B9-B43-E6-9C-8820-E6-97-A5

とわかりました。

E6-A1-9C-E6-9C-A8-E7-94-BA37
E6-A1-9C-E6-9C-A8-E7-94-BA53

No.267 9月23日(日)Yの真価

No.349 12月14日(金)6人の指導者達

E5-A4-A7-E6-B1-9F-E6-A9-8B-E7-95-8C-E9-9A-88
昭和初期の北仲

【Y校の歴史】
1882年(明治38年)港の有力生糸商人・小野光景らにより横浜商法学校設立。
1888年(明治44年)横浜商業学校と改称。
1905年(明治38年)現在地に校舎が落成し、移転。
1917年(大正6年)横浜市立商業学校と改称。
1924年(大正13年)本科の上に2年制の専修科を置く。神中(神高)戦[2]が開始される。
1928年(昭和3年)専修科を母体に横浜市立横浜商業専門学校(通称Y専)を設置。
1948年(昭和23年)学制改革により横浜市立横浜商業高等学校となる。
1949年(昭和24年)横浜市立港高等学校を統合し、男女共学となる。商業科、普通科、家政科、別科として理容科が設置される。港高校の夜学部を港分校とした。
1950年(昭和25年)港分校は横浜市立港高等学校(定時制)として分離独立した(港高校の復活)。
1982年(昭和57年)創立100周年記念式典挙行。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください