横浜は「横浜駅」を筆頭に「横浜市役所」「中区役所」皆引越の歴史を持っています。
1983年(昭和58年)11月21日(月)中区役所完成し3度目の引越を行いました。
(彷徨える中区役所)
中区役所も市役所(神奈川県庁も)と同じように
戦前戦後を通して“彷徨い”ます。
[港町]→[桜木町]→[住吉町]→[日本大通]
年表にしてみました。
1927年(昭和2年)10月に区制が施行され、港町1丁目に中区役所が誕生します。
1942年(昭和17年)港町1丁目より桜木町1丁目の興産館へ移転します。
1961年(昭和36年)住吉町4丁目の横浜銀行ビルを改装し移転します。
(現在の関内ホールの東側)
1964年(昭和39年)中区役所が移転した後、桜木町の旧中区役所は、日本初の公営「横浜市民ギャラリー」としてオープンします。(1974年(昭和49年)万代町に移転)
1983年(昭和58年)11月21日(月)日本大通35番地に中区役所が完成し移転し現在に至ります。
No9 1月9日(月) 野毛カストリ横町立退き騒動
彷徨える市庁舎
No.256 9月12日(火)どこも本庁舎引越は大問題
彷徨える横浜駅
No.289 10月15日(月)生き残った魅惑の迷宮
横浜公園の隣にある現在の中区役所は
日本を代表する建築家、前川國男建築設計事務所の設計です。1986年 (昭和61年) 81歳で亡くなる前川最晩年期作品の一つです。
屋上にある小さな庭園がおすすめです。
正面玄関 |
前川國男
戦後日本建築界をリードした建築家の一人です。ル・コルビュジエ、アントニン・レーモンドの元で学び日本におけるモダニズム建築の旗手として活躍します。巨匠「丹下健三」は彼の事務所出身です。
新潟県新潟市に内務省土木技師(勅任官)前川貫一の長男として生まれ、東京で育ちます。東京帝国大学で建築を学び、1935年(昭和10年)に 30才で独立します。
あの「前川リポート」で知られる第24代日本銀行総裁の前川春雄は、6歳年下の実弟です。
第二次世界大戦に突入している1942年(昭和17年)に自邸を自ら設計し建てます。戦時下の建築制限を受けながらも この資材?この調度?で建築できる“恵まれた”環境に生きたサラブレッドであったことは間違いありません。
(江戸東京たてもの園に移築されていますので是非一見を!)
http://www.tatemonoen.jp
横浜市内の前川作品
中区役所を除き、紅葉ヶ丘の一角に彼の作品は集中しています。
1954年(昭和29年)神奈川県立図書館・音楽堂(日本建築学会賞)
1962年(昭和38年)神奈川県立青少年センター
1965年(昭和41年)神奈川婦人会館
1983年(昭和58年)横浜市中区役所
No.324 11月19日(月)広田弘毅に和平を進言した男像
(余談)
11月21日は1878年(明治11年)に横浜区役所が本町1丁目1番地に開庁した日でもあります。その後、1887年(明治20年)8月に本町1丁目4番地へ移転しています。
初代市庁舎(1889年〜1911年)以前のことです。
No.256 9月12日(火)どこも本庁舎引越は大問題