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No.276 10月2日(火)フェンスに囲まれた公園

今日は、横浜最大級の公園緑地?
フェンスのこっち側の公園が開園した日です。
1977年(昭和52年)10月2日の今日「根岸森林公園」の整備が終わり開園しました。

横浜市中区根岸台にある根岸森林公園は、江戸時代に居留地の外国人が幕府に造らせた競馬場でした。
正式名称は「横濱競馬場」、根岸の地名から「根岸競馬場」とも呼ばれていました。

明治になると日本人も競馬を愉しむようになり、日本の競馬文化発信地として数々の名レースが生まれました。
No.130-1 5月9日 クラベウマ外交の時代(前編)

No.130-1 5月9日 クラベウマ外交の時代(後編)
競馬場としては、戦争により1942年閉鎖、軍に売却され廃止されました。
終戦後、復活計画もありましたが連合軍により接収され、1947年からは周辺一帯がアメリカ軍の管理下に置かれます。
接収中、馬場はゴルフ場や乗馬施設、駐車場などに改装され馬場のなごりは殆ど失われてしまいました。
横濱競馬場には、建築家モーガンの設計による震災後再建された馬見所が戦後まで残されていましたが、現在は一部のみ保全されています。


1969年に一部を残して接収が解除され、1977年(昭和52年)10月2日に横浜市による整備の上「根岸森林公園」としてオープンします。
面積は193,102m2で、山下公園、港の見える丘公園と並ぶ中区エリアの代表的公園です。


この市内一等地に残る「根岸森林公園」は、実は完全に返還された訳ではありません。森林公園の周辺部には広く米軍施設が広がり市民生活に支障をきたしています。

現存する森林公園の3倍近い接収地

公園周辺が、一筆書きのようにフェンスの向こうのアメリカが現存します。

現在まで返還交渉が行われ、返還の方向に進んでいるようですが未だ具体化はされていません。

※根岸エリア一帯は、終戦時 戦略的にではなく、立地(景観)的に良い場所だから接収したように思えます。正面ゲートはカメラを向けると厳しく注意されます。たいしたことではありませんが無力感を感じました。

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